小グループで聖書を学ぶ

9 苦難と、懲らしめと、侮辱の中で (イザヤ37:1〜20)

「心の門を開いて」

 悲しみや苦しみにあう時、私たちは何をするでしょう。人をうらむこと?不運をのろうこと?自暴自棄になることでしょうか。私たちが苦境にある時、どこに心を向けますか。何をすることができますか。アッシリヤの大軍に攻撃され、あざけりと脅かしに直面したヒゼキヤ王の姿から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アッシリヤの大軍がエルサレムを囲み、ユダの王ヒゼキヤは大きな困難に直面していました。アッシリヤは、ユダを散々にあざけり、ヒゼキヤを悪く言って、仲たがいさせ、早く降伏させようとしました。それに対するヒゼキヤ王の反応はどうですか。ヒゼキヤの気持は、どのように表現されていますか。
・/1節
・3〜4節/

2 「衣を裂く」とは、強い悲しみや憤りを表したものです。どうしようもない状況で辛くて仕方がない心です。困難から民を助けることの出来ない自分を嘆き、滅びるしかない民のことを憂えています。今自分にとっていいことはまったくない、ただ苦難と絶望、あざけりと侮辱だけがあるというのです。家庭や職場の問題で悩み、人間関係に苦しむ時等、あなたはどうすることが多いですか。



3 悩み、苦しむ時、自分の弱さを出していいのです。強いふりをする必要はありません。ただその時、嘆いたり、怒るだけなら、神様から心が離れ、あいつのせいだと人を恨んだり、もうだめだと自暴自棄になったりするでしょう。イエス様に救われ、神様に愛されている者は、どこに行って何をしますか。
・1節/
・ヘブル4:16/

4 ヒゼキヤは、主の前に自分の辛く苦しい状況を表現しています。徹底して自分の弱さを表しています。神様は、私たちが自分の弱さ、罪、傷害、失敗、困難を告白して、真に神様に拠り頼むことを望んでおられます。そのように神に信頼して、訴えてくる信仰の人に対して、どのように応えてくださいましたか。
・6〜7節/
・詩篇34:4〜7/

5 神が義としてくださった者を攻める者を神様は裁かれないでしょうか。救いは、イエス様の十字架の死が私の罪と滅びの身代わりだと信じるだけでですが、救いの恵みは深く完全です。救った者を確かに守り、助けてくださいます。「彼のうちに一つの霊を入れる」とは、「ある思いを入れた」ということです。他の国が自分たちを攻めようとしているという思いです。それで、すぐに本国へ戻るようになります。ですから、私たちの頭の中だけで決め付けないことです。もうだめだ、他に道がないと思っていた時に、思いもよらぬ守りや助け、導きを経験したことがありませんか。分かち合いましょう。



6 その後急にエルサレムを囲んでいたラブシャケは退いて行きました。アッシリヤ王セナケリブが、クシュ、すなわちエジプトが攻めて来ると聞いて、移動したからです。形勢不利になったアッシリヤ王は、どんなことをヒゼキヤに伝えて来ますか。
・8〜11節/


7 降伏を迫る文書は、ヒゼキヤ王へのあざけりと脅かしに満ちていました。神様への信頼から引き離し、目の前の困難で絶望させようとする調略です。これに対するヒゼキヤの態度は、どうですか。恐れたり、動揺して騒ぎましたか。ヒゼキヤはどうしましたか。
・14〜15, 17節/


8 その降伏を迫る文書を受け取ったヒゼキヤは、主の前に大胆に出て行って、手紙を広げて祈っています。「敵はこんな手紙を書いて来ました。読んでください。こんなに酷くあざけり、侮辱していますよ」と神様に訴えています。ヒゼキヤ王にとって神様はとても実際的な方であり、その信仰は、実に生き生きとしています。あなたは、どのように祈りますか。あなたにとって神様はどんなお方ですか。(参考/ローマ8:31〜33)



9 ヒゼキヤの祈りには、いくつか特徴があります。私たちがよくするような祈りをしていないし、私たちが忘れている祈りをしています。まず、苦難をなくしてほしい、ばかりの祈りをしていないということです。彼は、どんな祈りをしていますか。祈りによって神様をそのように表現していますか。そしてどうなるように、と祈っていますか。
・16,20節/

「命の実を刈り取ろう」

 ヒゼキヤは自分たちが滅びることをよしとしても、それによって悪者が神様をあざけることになってはならないと言います。自分たちが勝利することで、世の人々が神様の栄光を知るようにと祈っています。何と偉大な祈りでしょうか。自分の思う通りにしてくれないと不機嫌になる姿が恥ずかしくなります。きょうのヒゼキヤの姿、祈りを通して示されたことを分かち合いましょう。20節,使徒4:29〜30。

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