小グループで聖書を学ぶ
13 恵みの後で (イザヤ39:1〜8)

「心の門を開いて」

 人は、困難から解放されて後、どのように過ごすでしょうか。願いがなかった後、どのようになるでしょうか。そこには、危険と誘惑が待っています。ヒゼキヤ王が陥った例を学び、私たち自身も備えましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 奇跡的にヒゼキヤ王の病気が治り、アッシリヤから守られ、彼の心に隙ができるようになった時のことです。ヒゼキヤ王の病気回復を祝い、遠くの国から使者がやって来ました。このような時、どんな気持ちになりますか。(参考/箴言16:18)
・1節/
・U歴代32:24~25/

2 バビロンは、当時アッシリヤ帝国に反抗する勢力として台頭して来た国です。アッシリヤに苦しめられていたヒゼキヤとしては、心強く思い、喜んだでしょう。バビロン使節団の本当の理由は、対アッシリヤの共闘、同盟の誘いでしょう。外国からの訪問、同盟の誘いというような状況で、これまでのヒゼキヤだったら、何をしているでしょう。何をすべきでしょうか。(参考/イザヤ37:1〜2,14〜15)



3 バビロンが知りたかったのは、なぜユダのような小さな国が大国アッシリの攻勢に持ちこたえているのか、どうしてヒゼキヤ王が奇跡的に回復したのかということです。しかし、ヒゼキヤは、バビロンに「神様の守りや恵みがあったから」と証しすることなく、神様にバビロンのことについて聞くこともなく、何をしていますか。
・2節/
・U歴代32:31/

4 よく知らない遠い外国の使節に対して、なぜこんなことをしたのでしょう。「対アッシリヤの共闘、同盟の誘い」から考えてみてください。



5 バビロンはユダを認めて、対等に扱ってくれたので、大変喜びました。対アッシリヤ同盟の力があることを示すために、軍事力もあるし、資金も十分にあることを示そうとしたのです。病床から奇跡的に回復し、他の国が認めてくれたことが相まって、ヒゼキヤは自慢したくなり、さらに認められようと見せたくなったのです。神の民、イエス様の弟子でありながら、世の評価を得るために、自分を大きく見せようとしたり、自慢するこのような姿をどう思いますか。
・ルカ9:46。/
・ガラテヤ1:10/


6 バビロンからの使者は、ヒゼキヤにとって、一つの試みとなりました。私たちにとっても、様々なこと小さなことが試みとなります。問題が一段落した、病気が癒された、仕事を成し遂げることができた、そういう時心に隙が出来ます。自慢し、高慢になりやすいのです。認められたい欲求が生じます。そういう試みに会ったことがありませんか。
・U歴代32:30~31/


7 バビロンに、武器や財宝を見せるよりも、弱い小さなユダを天地の創造主なる神様が守ってくださった、私の信じる慈愛の主が私を癒してくださった、という信仰のあかしを見せなければなりませんでした。私たちは、自分を大きく見せようとしたり、自分が誉められようとする必要はありません。あなたは、何を見せますか。何を教えますか。(参考/使徒3:6,イザヤ43:4)



8 ヒゼキヤが悟るべきことは、神様に守られ、癒されたなら、さらに神様を愛して御言葉に従って行くようになることです。私たちが覚えるべきことも、イエス様の十字架によって救われたなら、新しい命に生きて、主の栄光をあらわして生きるということです。ヒゼキヤは、愚かな自慢をしたために、敵の欲を呼び覚ましてしまいました。その結果、どのようになると知らされましたか。
・5~7節/


9 ヒゼキヤは、その叱責を肯定的に受け止めています。神様は少なくともヒゼキヤの在任中は起こらないという約束を与えました。それは、彼が何をしたたからですか。
・8節/
・U歴代32:26

「命の実を刈り取ろう」

 ヒゼキヤは、後の時代のために、後の王たちのために財宝を蓄えましたが、何の助けにもなりませんでした。信仰者は、信仰を受け継ぎ、伝えるために、心と体とお金を投資しなければなりません。信仰こそ宝だからです。Uコリント4:7。重要なことは、今です。今この瞬間イエス様を信じて、神様に拠り頼み、御言葉に従って生きることです。財宝を残せなくても、真の信仰を残すならば幸いです。自分を守ってくださる神様が次の世代をも守ってくださり、祝福してくださいます。今日の学びを通して、気付かされたことは何ですか。どんな導きを受けましたか。イザヤ33:6。

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