小グループで聖書を学ぶ

15 比べることのできない神様 (イザヤ40:12〜31)

「心の門を開いて」

 神様から素晴らしい慰めのメッセージをいただきました。しかし、民の中には、慰めを受けられない人々がいました。疑問や疑いを持っていたようです。そこで、神様がどんなお方であるかを教えています。信仰といっても、どのように信じているのかということが重要です。私たちの神はどんなお方かを学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 素晴らしい神様の慰めと励ましを聞いても、実際に慰めと励ましを受けられるかどうかは、どんな神様を信じているのかにかかっています。神様がどのようなお方であるかを教えていますか。(参考/ローマ1:20)
・12〜14節/
・21節/

2 世にある物は、誰かが作ったものです。存在するということは、すべて誰かが作ったということです。宇宙や自然の広大さを思うと、それを造られた神様はどれほど偉大なお方であるかと考えるようになります。すべてのことをご存知で、すべてのことを計画されておられるその偉大な神様の前では、世のすべてはどのようなものだと描写されていますか。
・15〜17節/
・22〜24節/

3 神様があまりに偉大な方なので、人間の力で知ることは到底できません。神の偉大な創造の御業の中では、人は無きに等しい存在です。そんな私たちを神様は、どうしてくださいましたか。
・Tペテロ3:18/
・ヨハネ3:16/

4 バビロンに捕囚との知らせに打ちひしがれた神の民は、捕囚からやがて解放されるという慰めのメッセージを受けました。しかし、受けても、彼らの神様のイメージが自分の作った都合の良い神様のままでは、到底解放の約束を信じられないでしょう。その患難を受け止め、取り組んで行くこともできないでしょう。そのために、慰めのメッセージの後に、こうして神様の偉大さが教えられています。自分の都合の良い神様をイメージしておいて、そんな神様に誰が知恵と悟りを求め、自分を委ね、命をかけて従おうとするでしょうか。あなたの神様のイメージはどうですか。

5 人は造られた存在なのに、神を作ろうとする愚かな姿をあらわしています。自分の頭の中に神様を入れようとします。人は、その偉大な神様を何になぞらえ、どんな似姿に似せようとしたのでしょうか。
・18〜20節/


6 自分の都合の良いご利益神や欲を満たそうと願う偶像神では、本当に信頼し、委ねることなどできません。慰めも平安もありません。人が偶像を信じる最も大きな理由は、欲を満足させたいためです。その意味では、お金やプライドも偶像となります。あなたの中に、偶像のようなものはないですか。あるとすれば、どんなものが偶像になっていますか。



7 神様は、ご自分の民を瞳のように愛してくださったのですが、神の民は何と言っていたのでしょうか。どんな態度を取っていたのですか。
・27節/


8 これは、バビロンへの捕囚を聞いて絶望しながらも、神様を信頼できなかった民の姿です。患難の中で失意と空しさに沈んでいながら、偉大な神を知らないクリスチャンが陥っている姿でもあります。「神様は、私の窮状を見ていない、私の訴えを聞いていない、私は見捨てられている」という呟きです。「ユダを強い国にしてくれ、どうしてバビロンに滅ぼさせるのか、自分たちの好きにさせてくれ」と文句を言っていたのでしょう。このような呟きをしたことはありませんでしたか。



9 神様から目が離れると、不信仰が近づいて来ます。不信仰が満ちて来ると、言ってはいけないことばを吐き、自分と周りの人々を困難に陥れるようになります。どんなに目に見える現実が厳しくても、救いに基づく神様の愛は変わりません。どんな状況にあろうとも、偉大な神様に目を向け、拠り頼み、委ねて行くとどうなりますか。
・28〜31節/

「命の実を刈り取ろう」

 苦しくて悲しくて身動きできなくても、偉大な神様に心がつながると、歩き出し、走り始めます。心が疲れ倒れていた者が立ち上がります。聖霊の御力が注ぎ続けられるからです。プライドや自分の思いが中心では、必ず疲れ果てます。疲れを覚えるなら、立ち返って恵みをいただきましょう。失望と落胆に陥っているなら、恵みにあふれるお方、イエス様を遣わされた偉大な創造主に立ち返って、拠り頼みましょう。学びを通して気付かされたこと、導かれたこと、慰められたこと等分かち合いましょう。詩篇8:3〜4。

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