小グループで聖書を学ぶ
19 主に向かって新しい歌を歌え (イザヤ42:10〜16

「心の門を開いて」

 救いの恵みが自分だけに留まらないで、家族や友人、周りの人々にも伝わることを私たちは望んでいますが、証しが中々進まない現実に無力さや難しさを感じるかもしれません。しかし、救い主が来られるならどうなるのでしょう。神様の約束をイザヤの預言から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 救い主が来られるなら、神様のことを知らなかった人々が、神様を賛美するようになると言っています。どんな人たちですか。
・10節/


2 海を忙しく航行する人々や島々に住む者は、福音から最も遠いところにいる人々を言います。救い主のことを聞く機会のなかった人たちです。現代日本の人々の多くも、忙しく生活して、福音を聞く機会がなく、空しさと痛みを覚えながら生きています。御言葉の約束は、そのような人々も賛美するようになるというのです。なぜ、そのような人々が、神様を賛美するようになる、つまり、福音を聞いて、信じるようになるのでしょうか。
・ローマ10:14/
・40:1〜5/

3 救い主が来られるという預言を聞いた人々が、嬉しさのあまり歌い出します。希望のメッセージを伝えずにはおられなくなるからです。自分のことに熱中していた人々も、欲を満たすことを追求していた人々も、空しさや倦み疲れを覚え、死とその後を考える時、救い主の必要性を感じるようになります。そうした人々に、福音が伝わり、神様を信じるようになるからです。あなたは、どんな人たちを通して、福音に接しましたか。



4 近くにいた人々も賛美するようになると言っていますが、この人たちは、神の民のことやその信じていた神様について、ある程度聞いて、知っていたはずです。それなのに、どうしてこれまで福音を信じることはなかったのですか。
・11節/
・ヨハネ4:44/

5 ケダル人は、ユダに近いアラビヤ砂漠に住んでいた人々であり、セラに住むエドム人の先祖は、イスラエル人の親戚でした。彼らは、神の民の信仰を知らないわけではなく、ユダの人々が信じていた神様のことは知っていたのですが、妬みで否定したか、よく知っている近くの人々の信仰なので見くびっていたのです。イエス様も当初母や兄弟から理解されず、親戚や故郷の人たちはイエス様を尊敬しませんでした。あなたも、家族や親戚、友人や近所の人々への証しに困難を覚えたり、戸惑いを感じていませんか。



6 福音が伝えられて、御霊が働く時、到底信じることはないと思える人が信じるようになり、まったく教会に来ないような人がイエス様を賛美するようになります。その約束が、ここにあります。御言葉の約束は確かです。どうするのですか。
・使徒16:30〜33/
・ルカ8:39/

7 神様が選ばれた人々をどのように救い出してくださるのか、どんな譬えが用いられていますか。その譬えであらわされたことは、どういうことですか。
・14節/
・ガラテヤ4:19/


8 妊婦は、お腹の子どもが育つまで慎重に待たなければなりません。そして、時が満ちてうめき苦しみながら出産することになります。新しく信仰を持つ人が生まれるためには、産みの苦しみがあります。忍耐する間に、信仰の種が心に蒔かれなければなりません。芽が中々でなくても、条件が整い、時が来れば出て来ます。あなたは、どんな産みの苦しみをしていますか。時が満ちるまでの間、そのようにしようと思いますか。



9 自分を造ってくれた神様を知らない人は、人生の意味がまったく分かりません。神様は、そのような人々をどうしてくださると約束されていますか。
・16節/


「命の実を刈り取ろう」

 「目の見えない者」とは、神様のことが分からない人のことです。生きることは生きても、何のために生きるのか、仕事はしても、結婚して子どもを育てても、何のためにそうしなければならないのか分からないのです。「彼らの知らない通り道」と言っても、主が手を引いて導いてくださる救いの道ですので、大丈夫です。イザヤ41:10,13。「やみを光に、でこぼこの地を平らにする」とは、これまで労苦していた者を祝福して、先が見えないでさまよっていた者を平安に導いてくださるということです。イエス様を信じて、御言葉に従って生きることは、何と幸いなことでしょう。今日の学びを通して、示されたこと、気付かせられたこと、新たな思いが与えられたこと等を分かち合いましょう。

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