小グループで聖書を学ぶ

21 あなたはわたしの証人(イザヤ43:1〜13)

「心の門を開いて」

 自分は何者なのか、自分とはどんな存在なのか、それを知っていることは大変重要です。ところが、多くの人々が自分のことを分かっていません。多くの人々が、健全な自己イメージを持っていないようです。私たちのセルフイメージはどうでしょう。聖書はどう教えているのでしょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 もうすぐユダの国は滅び、神の民が生きていた地は廃墟となります。彼ら自身は、バビロンへ捕囚となってしまいます。そのような状況で、神様は、彼らについて何と言われましたか。
・1節/


2 「造り出した。形造った」というのは、何もないところから造り出した、原料から新しいものを形造ったということです。その時のユダの状況を人の目で見れば、すべて終わった、滅んでしまったということですが、神様はご自分の民を何もないところから造り出されたように、再び造り出してくださるというのです。私たちもそのように言っていただけるのでしょうか。どうしてですか。
・Tコリント6:20/
・Uコリント5:17/

3 イエス様に救われたゆえに、私たちも神の民とされています。絶望の中で、苦しい状況で、神様が私の名を呼んでくださいます。かりに私たちが失敗し挫折したとしても、すべてがなくなり、何もできなくなったとしても、「わたしがあなたを形造った」と言ってくださり、「あなたはわたしのもの」と言ってくださいます。どんな気持ちになりますか。



4 神の民を救い、新しく造り出すという約束について、すでに先祖たちが経験した出来事を例にあげています。出エジプトの出来事のようです。どんなことをしてくださったのですか。繰り返し強調されていることは、何ですか。なぜ、そのようなことをしてくださったのですか。
・2〜4節/


5 エジプトを犠牲にするほどに神の民を愛してくださり、高価で尊いとまで言われました。私たちの価値は、私のためにイエス様が身代わりに十字架にかかってくださったことにあります。多くの人が、世の評価、人の目に映る自分をセルフイメージとし、低いセルフイメージで自分を叩いてしまうか、肉のプライドで虚勢をはってしまいます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」これが、私たちのセルフイメージの原点なのですが、今のあなたのセルフイメージはどうでしょうか。



6 国が滅ぼされ、バビロンに捕囚とされる神の民は、今恐れ、絶望しています。神様は、どんな約束を言われましたか。
・5〜6節/
・U歴代誌36:22〜23/

7 バビロンからの解放と帰還の約束だけでなく、ローマ帝国の時代、国を滅ぼされて散らされた神の民が、五旬節の時にはローマ帝国中からエルサレムに来て、福音を聞いて救われるようになります。今も、神様はご自分の民にしようと世界の人々を呼び集め、イエス様の十字架の福音によって、罪と滅びから解放し、救い出してくださっています。ですから、今この地でも、御言葉の約束が成就しているのです。これを知って、どう思いますか。



8 この約束が現実のものとして起こるには、何が必要となるのでしょうか。このような素晴らしい神様の救いの恵みに浴し、尊い存在とされている私たちは、恵みと愛にどう応えたらいいのでしょうか。
・7節/


9 神様の栄光のため造られた私たちの生きる主な目的は、神様の栄光をあらわすことと教えられています。こう言われると、ご利益信仰の価値観の中で生きて来た者には、自分がなくなってしまうのでは、自分の望みは持てないの、などと心配し、躓きます。しかし私たちが、肉と欲の赴くまま生きるのではなく、神様の栄光をあらわすために生きるなら、私たちを愛する神様は私たちを幸いにしてくださいます。私たちが神様の栄光をあらわすために、神様は私たちをどういう者にしてくださいましたか。
・10〜11節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちの立場や環境がどうであろうと、私たちの人生と生き様を通して主なる神様をあらわして行くことを神様は願われました。これが、私たちの生きる目的であり、私たちが存在する理由であり、私たちが人生を最高に生きることのできる尊いことです。神様が、恵みと祝福をもって守り、導いてくださいます。世で輝くようにしてくださいます。きょうの学びで示されたことを分かち合いましょう。ローマ8:32, ピリピ2:16。

戻る