小グループで聖書を学ぶ
23 わたしに帰れ、あなたを贖ったから (イザヤ44:9〜28)

「心の門を開いて」

 今日の主題は、偶像です。木や石で作ったものを偶像と言いますが、目に見える形あるものだけではありません。人が知らずに心の中で様々な偶像を作り、それに囚われ、悲惨を経験しています。私たちの心にある偶像は何でしょうか。その偶像から解放され、本来の自分自身が生きていくために、聖書から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人々は、問題の多い人生の中で、不安と困難を抱えて生きるために、何かを拝んで、拠り頼もうとします。人は神様に造られたものですから、何かを信じたいという本能があります。切実に願い、すがる対象を求めます。しかし、イザヤの時代の神の民は、真実な神でなくて、何に願っていますか。何をしていますか。
・9〜12節/


2 ここでは、特に「偶像を作る」ことにフォーカスがあてられています。木や金属で作られて、安置されているものだけが偶像ではありません。個人の生活や私たちの社会の中に無形の偶像があります。たとえば、お金やキャリアへの魅力が増大して行くと、家族や健康や何かよりも、経済的な豊かさと社会的地位を追求して行きます。人の心には、どんな偶像があるでしょう。
・コロサイ3:5/
・エゼキエル14:7/

3 人に認められること、キャリア、物質的豊かさ、人、健康等、それ自体は良いものなのに、それが偶像になってしまいます。金銭がその代表的な例ですが、自分の心と思いを注ぎ、神様からしか得られないものをそこから得ようとするすべてのものが偶像となります。成功、賞賛、面子、容姿、地位、趣味、サークル等何でも偶像になりえます。共依存と呼ばれる人間関係もそうです。あなたにとって偶像となっているものは、何ですか。


4 偶像は、人生を台無しにするほどの強引さと影響力を持つものとなり、人の心を壊します。ところが、すべてが偶像になりうるという根本的な真実に気付いていません。人生においてどんなものでも、神様の代替物としての偶像、偽りの神になりうるのです。どんなに空しいことかを知ってもらうために、偶像がどう作られ、どのように拝んでいるか記されています。どんなことを感じますか。
・13〜17節/


5 クリスチャンも、世の人々のように心の中に偶像を作っています。心が神様から離れ、空しくなる危険があります。どうして、偶像を作るような愚かなことをするのでしょうか。
・18〜20節/
・Uコリント4:4,ローマ1:21,25/

6 大切な人生や命以外のものに心を囚われると、霊的盲目のために、それを偶像にしていることに気付きません。たとえば、金銭や社会的成功が偶像になっていても気付かず、経済的変動や社会的事件が起こって、その偶像となっていたものが崩壊してはじめて、いったい自分は何を考えていたのか、なぜこんな危険に気付かなかったのかと自問するのです。あなたにとって、そのような事件はありませんでしたか。



7 人は、その偶像の囚われから抜け出し、自分の尊厳性を回復しなければなりません。まず、自分にとって偶像は何かを見極めることです。みな持っているのです。心の目がふさがっているので、気付いていないだけです。偶像に気付いたら、どうすればいいですか。
・21〜22節/
・使徒3:19/

8 私たちも、肉の欲の中に生き、肉と心の赴くままを行い、偶像にとらわれ、罪に翻弄され、滅んでしまうような者でした。しかし、神は、そんな私たちをあわれみ、愛してくださいました。偶像があることを認め、悔い改めるだけでなく、何よりも自分のために何をしてくださったかを感謝し、喜び、主の前に憩うことです。そうして救い主イエス様を思うと、自分自身は今までよりもずっと魅力ある存在になります。心の偶像をイエス様に置き換えることです。イエス様は何をなさったのですか。
・23〜24節/
・マルコ10:45/

9 ユダの民が偶像に囚われてこんな愚かな状態になっていても、神様は顧みてくださいました。バビロンに捕囚にされている間に、彼らが神様に立ち返り、信仰を回復するなら、ペルシャの王クロスを用いて彼らをエルサレムに帰還させてくださると約束されました。神様は、私たちをどのようにしてくださいましたか。
・28節/
・ローマ8:2,ガラテヤ5:1/

「命の実を刈り取ろう」

 神様は、罪と偶像にとらわれ、翻弄されている私たちをあわれみ、愛してくださり、イエス様を私の身代わりとして十字架に渡されました。今日の学びを通して、どのような心の偶像に気付かされましたか。そのためのイエス様の十字架をどのように思いましたか。

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