小グループで聖書を学ぶ

1 わたしが主である(イザヤ45:1〜8)

「心の門を開いて」

 心配性は、人間の本性の一つです。心配するから危険を未然に防ぐことができます。心配することは正常な心理なのですが、度が過ぎると心身共に疲弊してしまいます。心配性は、ストレスを抱え易く、ネガティブになりがちです。預言者イザヤからバビロン捕囚の預言を受けたユダの民は、不安でたまりませんでした。しかし、バビロンからの解放も告げてくれます。その方法は思いもよらないことでした。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イザヤ書の前半はユダに対するバビロン捕囚の裁きが預言されていましたが、後半はバビロン捕囚からの解放の希望と慰めが預言されています。神様は、どのようにしてバビロンからユダの民を解放してくださるとのですか。
・1〜4節/


2 「油そそがれた者キュロス」とは、神様がキュロス王を立ててくださったということです。神様がキュロスの前に諸国を降伏させ、従わせると約束しています。世界史的には、アケメネス朝ペルシアの建設者キュロスUです。帝国内の諸民族を融和政策によって見事に統治した王であると評価されています。神様は、キュロスを用いて、どのようにしてくださるのですか。
・2〜4節/
・エレミヤ25:11〜12/

3 不確実な未来によって、私たちはしばしば不安に囚われ、心配が私たちを萎縮させます。漠然とした恐れが私たちを取り囲み、心悩ませ、病気にさせます。神様は、そんな状態になっていた神の民のために、キュロスを立ててバビロンから解放してくださるのです。このような神様が私たちの神であるなら、どう思えるようになりますか。
・エレミヤ29:10/(参考)


4 神ご自身が働いてキュロスを用いられたことを繰り返し強調しています。神様自らが働いて、私たちを助けてくださいます。キュロスは神の民ではありませんでした。それなのに、なぜこのような祝福を受けたのですか。私たちについては、どうですか。
・エペソ1:4,5,11/
・エペソ2:5,8/

5 4〜5節で繰り返され、強調されていることは何ですか。神様が用いるためにキュロスを立てられましたが、それで終わりですか。どのようなことをしてくださいましたか。
・4〜5節/


6 神様の召しは、召して終わりではなく、そのための能力や導きを与えてくださいます。キュロスは、メディア王国に服属していた小国ペルシアの王子として生まれましたが、捨てられて羊飼いとして育ちました。やがて王子に復帰し、メディアを、圧倒的に不利な中、メディアの精鋭部隊が味方になり勝利し、油断していたバビロン帝国も一挙に占領することができました。神の祝福を受けたキュロスは、捕囚の民をどうしましたか。
・エズラ1:1〜2/


7 神様に用いられたキュロス王は、「天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださり、エルサレムに宮を建てるよう私に任命された」と通達して、バビロンによって奪われた神殿の宝物や什器も返して帰還させています。驚くべきことです。これは、歴史的事実です。この出来事を学んで、どんなことを感じましたか。何を思いましたか。



8 多くの人が、神を信じるクリスチャンと言いながらも、あらゆることで心配し、不安を抱き、様々なことについて恐れます。その理由は、自分と共におられる神様を知らないからです。今日の箇所で、神様はどんなことを繰り返しておられますか。それは、私たちに何を教えていることになりますか。
・5〜7節/
・イザヤ44:6〜8/

9 聖書の神を信じるということは、造り主である神様が私の主人であり、私の人生の主管者であることを認めることです。そんな神様が、私たちにも「恐れるな、おののくな」と言われるのです。私たちが自分の人生の主管者が神であることを認め、自分が神の子どもとされていることを自覚するならば、どのように生きるようになりますか。
・ローマ8:17〜18/(参考)
・ピリピ4:12〜13/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 神の民、神の子どもを助けるためには、神は異邦人までも用いられることが教えられています。神様だけを信頼すれば、神がすべてのことを動員してでも私たちを助けて導いてくださることを明らかにしておられます。聖書の通り歴史的に成されたと知るならば、他のことも御言葉通り神がしてくださると信頼するようになります。私たちは、様々なことで心配し、起こって来る問題で不安になりますが、徹底して神様を信頼して生きて行きます。気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。エレミヤ29:10〜11。

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