小グループで聖書を学ぶ
4 生まれる前から年を取っても(イザヤ46:1〜4)

「心の門を開いて」

 人生にはいつ何が起こるか分かりません。それで、社会には保険というものがあり、人々は何らかの保険に入っています。学資保険や疾病保険など色々あります。今日の箇所には、そのような保険のようなことが記されています。救われた人生とは終身保険のようだと知ることができます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日も偶像のことから入ります。古代人は、戦争で勝った国の偶像が強いと思っていました。ユダを滅ぼし、その民を捕囚としたバビロン帝国では、その偶像が盛大に崇拝されていました。ところが、ペルシャ帝国のキュロスによってバビロンが滅ぼされると、その偶像はどうなりましたか。
・1〜2節/
・エレミヤ50:2〜3/

2 バビロン帝国で崇められていたベルやネボはどうなりましたか。その独特の表現に注目しましょう。偶像は、話したり、動いたりする存在ではなく、家畜によって運ばれる木や石で作られた像にすぎません。倒されたら、倒れて屈んだままになっています。それと比べて、まことの神はどんなお方だと記されていますか。
・3〜4節/


3 まことの神様が、神の民を担ぎ、運ばれるというのです。驚くべきことです。人が作り、家畜に運ばれる偶像とまったく逆です。人は、神によって造られ、神によって担われ、人生を運んでいただく存在なのだということです。私たちは、ひとりで人生を歩んで来たかのように錯覚していませんか。担ぎ、運ばれるというのは、神様が私たちの人生をどのようにしてくださるということになりますか。
・申命記1:30〜31/(参考)


4 聖徒たちは、人生途上で問題や苦しみに出会えば、揺れ動き、悩み、憂いに沈んでしまいます。そして、神様は助けてくださらなかった、見捨てておられたと言い、嘆きます。
 「砂の上の足跡」という話では、「ある人が夢の中で自分と神様が一緒に歩んで来た足跡を振り返っています。ところが、人生の中で特に辛く、悲しい時の足跡が一人分だったので、『どうして一番神様を必要としている時、見捨てられたのですか』と神様に尋ねると、神様は『一人分の足跡しかないのは、その時わたしがあなたを背負っていたからです』と答えられました。」この話を読んで感じたことや思ったことを分かち合いましょう。

5 人生途上苦難に襲われて、自分の歩みが止まったとしても、動けずに置かれたままだとしても、終わりではありません。神様は、イエス様を信じた私たちを愛してくださり、私たちを背負い、私たちを運んでくださいます。イエス様の十字架の犠牲を信じた者は、なぜそのようにしていただけるのですか。
・マタイ28:20/
・Uコリント4:16, ヨハネ16:33/

6 人は、若いうちはあれこれ自分ができると思い、実際にできることも多いでしょう。社会での仕事や責任を担っていることを通して、人生の意味を見出すこともできます。しかし、病気や加齢、何かの事情のために、できていたことができなくなり、負っていたことが担えなくなり、手にしていたものを手放すようになることがあります。あなたは、そのような時、どんな心境になりましたか。



7 「生まれる前から、年をとっても背負い、運ぼう」とは、終身保険のような表現です。神様が私たちを背負って、運んでくださるというのは、特にどんな時に感じるものですか。そのような時に神様に背負われて、運んでいただいた体験をした者は、どうすべきですか。
・詩篇71:6 , 17〜18/


8 神様に担われ、運ばれると言っても、何もできなくなることではありません。今まで信仰で生きて来たことにますます磨きがかかり、神の愛と救いの恵みをあらわして生きることができます。周りの人々のことを考えて、信仰の助言や励ましを与えることができます。たとえ何もできないと思っても、とりなし祈ることもできます。あなたは、どんなことをしようと思いますか。どんなことをするように導かれていますか。


9 加齢や病、何かのためには、できなくなることが多くなり、助けられることも増え、支えてもらうことが必要になって来ます。でも、私たちは本来神に担われ、運ばれている人生なのですから、謙虚に世話になり、素直に感謝して助けてもらいます。イエス様にある、愛の共同体とは、どんなものですか。
・Tペテロ4:10,ヤコブ5:16,Tテサロニケ5:11/

「命の実を刈り取ろう」

 「背負われ、運ばれる」とは、私たちの人生の最終的な拠り所、保証が神様にあるということです。4節後半には、「わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぶ。背負って救い出す」とあります。私たちを造られた神様によって、生まれた時からずっと天の御国まで、背負って、運ばれる存在であることを知る者は幸いです。学びを通して与えられた恵みを分かち合い、互いのために祈りましょう。イザヤ46:4。

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