小グループで聖書を学ぶ
8 耳を傾けてさえいれば(イザヤ48:12〜22)

「心の門を開いて」

 誰でも、平安がほしい、平安でいたいと願います。でも、難しい、問題は起こるし、物事はうまく行かない。平安になるって、そんなに簡単なことではないと思います。しかし、今日の箇所では、御言葉に耳を傾けてさえいれば平安になるということです。そうです。そんな恵みを受け取るために、御言葉に耳を傾けましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、「わたしに聞け、ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。」と呼びかけられました。何を聞くようにと呼びかけられたのですか。それを知らせることは、私たちにどんな恵みを教えていることになりますか。
・12〜13節/
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2 神様が変わることのない天地創造なるお方、永遠で全能である方であると教えています。それは、神を信じて頼るようにしなさいということです。どんなに幸いなことでしょうか。次に、「みな集まって聞け」と言っています。教会ができたのは、一緒に礼拝して、御言葉を聞くためです。聖徒たちが集まって祈り、賛美、御言葉を聞く時に、信仰の働きが起こります。ユダの民に聞くように言われたのは、どんなことですか。それを聞いた神の民は、どんな気持ちになると思いますか。
・14〜15節/
・イザヤ45:1 /

3 「主に愛された者、彼」とは、バビロンを滅ぼし、ユダの民を捕囚から解放してくれるペルシア帝国のキュロス王のことです。捕囚から解放されるという知らせは、どんなに嬉しいことでしょうか。ところが、三番目には、「わたしに近づいて、これを聞け」と言われます。よく聞きなさいということです。これまで、ユダの民は、御言葉に対してどうでしたか。私たちも、神様に近づいてよく聞いているか省みてみましょう。
・16節/
・イザヤ48:4〜5/

4 16節後半の「私」とは、直接的には、「油そそがれた者キュロス」(イザヤ45:1)のことですが、「油注がれた者」とは、メシヤ、キリストということです。この箇所も、イエス様の預言ということになります。ここと同じように、救い主イエス様を父なる神様が、御霊とともに遣わしてくださったということなのです。イエス様は、私たちを何から解放してくださるのですか。そのために、どうしてくださったのですか。
・マタイ3:16〜17/
・ローマ8:2,Tペテロ2:24/

5 イエス様が私たちの代わりに犠牲となって十字架にかかってくださったことを贖いと言います。代価を支払うという意味です。そのようにして、私たちを贖ってくださる神様は、私たちをどうしてくださいますか。ユダの民にどんな約束をしてくださいましたか。
・17〜19節/


6 「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」と言われるのですから、私たちは、自分の都合に合わせて選択的に御言葉に従うのではなく、全面的に従わなければなりません。「わたしの命令に耳を傾けてさえいれば、あなたの平安は川のようになる」という神様の憐れみに満ちた約束を聞いてどう思いますか。どう応答したいですか。



7 「なったであろうに、ないであろうに」という表現から、御言葉を聞かなかった者がいたことが分かります。神様の残念な思いが伝わって来ます。御言葉に耳を傾けるということは、御言葉に聞き従うということです。神様の命令に聞き従うなら、ユダの民はどうすべきなのでしょうか。その命令から、ユダの民のどんな姿が想像されますか。
・20節/


8 バビロン捕囚から解放されることを願っていたのに、バビロンでの生活に囚われ、バビロンに留まり、出ようとしない者がいたのです。悲惨な状態にいる人が、そこから逃れたいと思いながら、出ようとしないということがあります。なぜ、御言葉を聞きながら、罪の中に、苦しみや空しさの中に留まり続けるのでしょうか。自分にとって、バビロンやカルデアのような所がありますか。



9 21節は、出エジプト後の荒野での経験です。エジプトでの奴隷状態からの解放を願いながら、荒野での生活に不安がありました。岩から水を出して救ってくださったように、バビロンから出る不安に対して、神様はどのようにしてくださいましたか。あなたの不安はそのままですか。どうしますか。
・エズラ1:1〜3/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様を信じるなら、罪から解放され、新しい命が与えられ、平安に導かれます。どんなよい知らせでも、信じなければ救われません。どんな約束でも、応答しなければ、恵みを享受できません。自分の応答を分かち合い、祈りましょう。イザヤ48:18。

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