小グループで聖書を学ぶ

9 あなたはわたしのしもべ(イザヤ49:1〜6)

「心の門を開いて」

 「自分をどのような人と思っているか」と聞かれたら、私たちは、どう答えるでしょうか。自分が何者であるかを知らないと、他人と比較して、自分の価値と自我像を決めてしまいます。大変残念なことです。今日の箇所では、私たちの神のしもべとしての自我像が教えられています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の箇所に出て来る「私」とは、神のしもべを指しています。イエス様を信じて救われた私たちも、神のしもべとされています。神のしもべとしての自我像は、まず何と教えられていますか。
・1,5節/


2 私たちは、生まれる前から神様から召され、呼ばれ、神のしもべとされています。私たちは、どんな自我像を持っているのでしょうか。不健康な自我像を持つ人は、疎外感や劣等感を持ち、心の傷を持っています。否定的な思いでは、健康な自我像で生きることはできません。あなたは、自分の持っているものでプライドを持とうとしていませんか。他人と比べていませんか。



3 何か持っているものにプライドの元を置こうとする人々は、環境や条件に恵まれなければ、劣等感や敗北感に陥ることになります。しかし、聖書では、そうではないと教えています。私たちの自尊心の元は、どこにあるべきですか。
・ヨハネ15:16,/
・Tペテロ2:9/

4 神に選ばれ、呼ばれた神のしもべだと言われても、何もない、世の中で何ができるのかなどと思ってしまうでしょう。神に選ばれ、呼ばれたしもべについて、何と言っていますか。
・2〜3節/


5 神のしもべを通して、神の栄光をあらわすと言っています。そのために、霊的な武装をさせています。霊的な剣と矢とは、御言葉です。この神のしもべは、神のしもべとしての自我像を持っていたのですが、それでも、自分の働きの効果がないように見え、倦み疲れた時がありました。その時、どんな思いを吐露していますか。あなたも、うまく行かず、疲れ果てた時、どんな思いになりましたか。分かち合ってみましょう。
・4節前半/
・伝道者2:22〜23/(参考)

6 私たちも、否定的、悲観的な思いになることもあるでしょう。しかし、そんな思いにいつまでも囚われてはなりません。人は思うように話し、言うがままに行動するような人になると言われます。ですから、私たちがどのように思い、どのように考えるかは、とても重要なことです。神のしもべは、その後何と言っていますか。それは、どういう意味になりますか。
・4節後半/
・詩篇62:8/(参考)

7 私たちが問題ばかり見ると、問題は大きくなり、信仰は小さくなります。そうすると不安や心配が増加し、否定的、悲観的な思いに覆われます。しかし、私たちが神様を見て、主に頼ると、信仰が大きくなり、希望や確信が増します。神への信頼を告白した神のしもべは、神が自分にどうしてくださったと思い出し、証ししていますか。私たちも、神のしもべとして同じようにしていただけます。どんな思いになりますか。
・5節後半/
・イザヤ43:4/

8 神のしもべとされた者は、神様から賜物と働きが与えられています。自分にはどんな賜物が与えられているのか、どんな働きをもって人々に仕えて行くのか考えてみてください。それぞれの働きに加え、私たちをどんな者として、どんな働きに用いると約束されていますか。パウロの告白も、参照しましょう。
・6節/
・使徒13:47/

9 神によって「国々の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者」とされたというのです。これが、私たちの自我像です。何と素晴らしい存在でしょうか。イエス様の十字架の犠牲は私のため、罪と滅びから救うためだと信じて、救われた者は、神のしもべとされて、神様から愛され、賜物と働きを与えられています。神のしもべとしての自我像を自分の中に見てください。どんなにことに気付かされましたか。どのように生きて行こうと思いましたか。自分の新しい霊的自我像について、分かち合ってみましょう。
・Uコリント6:3〜4節前半/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 神のしもべとして働き、学び、生活して行くなら、神様が私たちを重んじ、私たちの力となってくださいます。神に呼ばれ、賜物と働きを与えられた神のしもべの自我像をもって、神様に任された使命に忠実な者となることを願います。Tペテロ2:9。

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