小グループで聖書を学ぶ

10 今は恵みの日、今は救いの日(イザヤ49:7〜13)

「心の門を開いて」

 苦しい辛い状況が続くと、否定的悲観的な考えしかできず、良い方向へ望みのある所へは出て行こうとしない人の姿があります。バビロン捕囚となっていたイスラエルの民も、神様がエルサレムに帰還させると約束されても、バビロンを出て、エルサレムへ行こうとは考えない人々がいました。そんな民に語られた御言葉から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 捕囚から解放され、エルサレムへ帰ることができると聞いても、バビロンにいた民は、痛みと疑いの中にいました。エルサレムを思えば、破壊され荒れ果てた様子が浮かびました。帰る道を思えば、飢えと渇きの荒野の道が見えました。そんな荒涼とした心の状態にいた民に、どんな御言葉が注がれましたか。
・8節/


2 虚しく悲観する人々に、またエルサレム帰還に希望が持てず、困難だけが感じられると否定する民に、神の約束の御言葉が光のように降り注がれました。どれほどの励ましと慰めでしょうか。このように宣言された神の御言葉に信頼する時、神の民はどうすることができると言っていますか。人は、どうすれば、罪の囚われから出て、救いを受けるようになりますか。
・9節前半/
・使徒26:18/

3 この時の民の心境は私たちにもよく分かります。私たちも、苦しく辛い状況が続くと、否定的悲観的な考えしかできなる時があります。落ち込んでそこから動けなくなる場合があります。でも、イエス様の十字架の犠牲を信じて救われたなら、助けて、守ると言われています。使徒パウロは、この箇所を引用して、どんなことを懇願し、勧めていますか。パウロの懇願を聞いて、あなたが思うことは何ですか。
・Uコリント6:1〜2/


4 慰めと励ましの御言葉を聞いてでも、望みが持てない、出て行かれないという人々がいました。エルサレムまでどうやって行くのか、荒野の旅は大変だと悲観するのです。うまく行くはずがない、そんな力はないと否定するのです。このような人々に、どんな御言葉が語られましたか。帰還を躊躇する民がどんなことを心配しているかが分かりますか。
・9節後半〜11節/


5 神様は、慰めと励ましの御言葉を語られるだけでなく、御言葉を成し遂げるために働かれ、イスラエルの地に着くように条件をあれこれ整えていてくださいます。弱い肉体と厳しい環境の中で生きる私たちを神様は放っておかれず、何と約束しておられますか。
・Tコリント10:13/


6 イスラエルの民がエルサレムへ帰還する時、実際にどんな助けや守りがあったのでしょうか。見てみましょう。私たちの厳しい環境もかえって豊かな場に変えてくださると分かれば、どのように歩むことができますか。
・エズラ1:1〜3,7, 4:4〜6,6:6〜8/
・ピリピ2:13〜14/(参考)

7 悔い改めて、全面的に神様に信頼して、神様だけを見ていくなら、守られ、助けられ、導かれます。慰めと励ましに満ちた約束の御言葉を聞いて、イスラエルの民はどうするようになりますか。それは、どんな様子が想像されますか。
・12節/


8 絶望の闇の中にいた私たちも、福音を聞いて、救い主イエス様の前に出てきました。教会に集まって来ました。宣教を始められたイエス様は、何と言われましたか。神の慰めやあわれみを必要としている人々のために、あなたはどんなことができますか。
・マルコ6:34/
・/

9 集まって来た人々はどうしていますか。集まった人々がそうするのは、神様がご自分の民を慰め、苦しむ者をあわれまれるからです。エルサレムに帰還した人々による神殿定礎式の様子を見てみましょう。人々の様子を見て、どう思いますか。あなたは、礼拝においてどんな思いで賛美していますか。
・13節/
・エズラ3:10〜13/

「命の実を刈り取ろう」

 エルサレムに帰還した人々は、喜びと感謝に溢れて賛美しています。感動的な場面です。私たちの礼拝でも、救われた民、あわれみと慰めを与えられた者たちが、感謝と喜びにあふれて賛美しています。私たちが救いの恵みを受けたのは、主なる神を賛美するためだと言われます。賛美は、祈りであり、いけにえです。ヘブル13:15。こうして礼拝をささげ、御言葉を聞き、賛美をすることができるということがどんなに恵みであることか、改めて感謝し、喜びます。今は恵みの時、今は救いの日です。気付きと適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント6:1〜2。

戻る