小グループで聖書を学ぶ

12 弟子の舌と弟子の耳(イザヤ50:1〜11)

「心の門を開いて」

 私たちは、社会の中に生きていますので、色々な人に関わります。勝手な人や横暴な人とも関わることになります。そんな時、私たちは、悩んだり、苦しんだりします。主の弟子としてどのように対していけばよいのでしょうか。私たちは、社会にあって、どのような者として生かされているのでしょうか。今日の箇所の神のしもべの姿から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 神のしもべは、バビロン捕囚の民に遣わされているのですが、彼らはバビロン捕囚になっていることを神のせいにして文句を言っています。何のために、彼らはそうなったのですか。彼らは、自分勝手に、どんな都合の良いことを言っていますか。
・1〜2節/
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2 捕囚にされた民は、自分勝手なことを都合の良いように言っています。神様に不満をぶつけ、神様を軽んじています。現代も、このような人々は自分の非を認めず、勝手なことを言い、人を侮り、他人のせいにしています。困っていた神のしもべ「私」に対して、神様は何と言われましたか。しもべの働きが何であると教えていますか。
・4節/
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3 神のしもべの働きは、神様から聞いた御言葉を伝えて、疲れた者に勇気と希望を与え、励ますことにありました。どうして、弟子の舌と弟子の耳と言われているのでしょうか。一般に、弟子とはどうする者ですか。イエス様は、ご自分と父なる神様との関係について何と言われましたか。イエス様の弟子である私たちは、どうすべきですか。
・ヨハネ15:15/
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4 弟子は、師から聞いて学び、それを実践する者です。神のしもべは、よく御言葉に聞いて、神の御言葉を伝えなければなりません。でも、自分勝手な民に遣わされたしもべは、どんな目に遭うことになりますか。それに対して、しもべはどうしていますか。あなたなら、そのような目に遭ったら、どうしますか。
・6節/
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5 私たちが肉プライドを傷つけられ、自分を否定されれば、自分を侮辱し、酷くあたる人に対して、怒りや憤慨の思いを吐き出したくなるでしょう。十字架にかけられるイエス様は、打たれたり、侮辱された時に、何と言われましたか。それを読んで、あなたは、どう思いましたか。
・ルカ23:34/
・Tペテロ2:19〜23/

6 仕返しや反抗しなくても、攻撃や侮辱にただ耐えるというイメージを持つかもしれません。なぜ、神のしもべは、打たれても、侮辱されても、されるにまかせられたのでしょう。どうして、そのような態度を取ることができたのでしょうか。そこから、私たちはどうすればよいと教えられますか。
・5節/
・申命記12:28/

7 イエス様に救われた者は、苦しみや逆境の中でも、恨んだり、怒ったりすることなく、勝利できるのだという信仰が与えられています。この神のしもべも、侮辱や嘲りに耐え、評価されなくても、しもべの使命を果たすことができました。理由は何であると証ししていますか。神様がどうしてくださるから、自分についてどうだと言っていますか。
・ヨハネ16:33/
・7〜9節/

8 神様が助けてくださるから、侮辱や嘲りを受けても恥だとは思わない、神様が評価してくださるから、否定されても揺さぶられないでいられると証ししています。このような証しを聞いて、あなたが侮辱や嘲りを受けたとしたら、どう思うことができますか。
・ローマ8:31〜34/(参考)
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9 私たちが確認させられるのは、苦難にあうことが問題なのではなくて、苦難の中でどのように対処するかが問題だということです。勝手な人や横暴な人がいることも問題であるが、それよりも、私たちがそのような人に対してどう対応するかが問題なのです。どんな態度、対応が必要だと教えていますか。
・10〜11節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちに一人子イエス様を送ってくださって、私たちを救い、愛を知らせてくださった神様に感謝します。私たちの耳を開いてくださって御言葉を聞かせ、私たちの口を開いてくださって主を賛美し、証しさせてくださることを感謝します。どのような状況の中でも、私たちが落胆したり悲観したりすることなく、神の助けと勝利を信頼し、神様に拠り頼む者となることを願います。弟子の舌をもって人々を励ます者となることを祈ります。気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。イザヤ50:4。

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