小グループで聖書を学ぶ

13 シオンを慰め、廃墟を慰めて(イザヤ51:1〜8)

「心の門を開いて」

 聖書には、慰めの言葉がたくさん出て来ます。それだけ私たちには、慰めが必要だということです。人は、ひどい状況になれば落胆し、それがどうにもならないように見えるならば、苦しくて、辛くて、悲しくなります。そんな思いが続くならば、体や心まで痛んでしまいます。私たちも、御言葉を通して慰めを受けなければなりません。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 1節前半で「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。」と呼びかけています。私たちは、主なる神を信頼し、神様の御業を求める者でしょうか。そうであるならば、神様の慰めを聞くことができるということです。神様に信頼し、拠り頼む者に、神様はどのように慰めてくださるのでしょうか。
・1〜2節/
・/

2 一つ目の慰めは、過去のあわれみを思い出させることです。イスラエルという民の先祖アブラハムも、はじめは採石場から切り出された未加工の岩と同じでした。神様は、年を取ったアブラハムとサラからイスラエルという民族を起こしてくださいました。過去にこれほどのことをしてくださった神様は、これからもそうしてくださるという慰めです。バビロン捕囚の民には、どんな慰めを受けると約束されていますか。
・3節, 詩篇40:2〜3/
・エズラ1:1〜3/

3 人生を振り返ってみてください。問題に翻弄された時も守られたこと、困難を乗り越えさせていただいたこと、一つ一つ神様が働いてくださった恵みを思い出すことができます。思い出した恵みがあれば、分かち合ってみましょう。さらに、そのようなことを思い出せば、どのような思いになるでしょうか。
・ピリピ4:6/
・/

4 次に、慰めを必要としている神の民に対して、どんな慰めを約束していますか。繰り返されている表現に注目してください。
・4〜6節/
・ローマ10:10,Uペテロ1:1/(参考)

5 二つ目の慰めは、神の救いは確かだということです。神様の義とは、神様の正しい裁き、確かな救いということです。義が近い、神の救いが現れるとは、神の民にすれば捕囚から解放されるということでした。罪に囚われ、滅び行くたましいをあわれんでくださり、神は私たちをどのようにして慰めをくださいましたか。
・ヨハネ3:16/
・ローマ8:32/

6 捕囚になっていた神の民は、不満や疑問がありました。なぜ、神様は私たちをこんな目に合わすのか、どうして私たちを苦しめるバビロンをそのままにしておかれるのか、私たちを見捨てられたのかという思いです。こんな思いで嘆きながら神様に訴えたのが、預言者ハバククです。神様の答えを聞いて、どのようになりましたか。
・ハバクク1:2,13/
・ハバクク2:1〜3,3:18/

7 三番目に約束している慰めは、神の民が出会っている具体的な心の痛みについてです。どんな慰めですか。
・7節/
・/

8 三つ目の慰めは、人のそしりを恐れたり、ののしりにくじけたりしないでいいということです。捕囚にある民は、自分たちの悲惨な状態について嘆き、苦しんでいたのに、それに対してそしりやののしりを受けることがとても辛いものでした。問題で苦しみ、悩んでいるのに、それについて批判や嘲りを受けるのは、とても辛く、悲しいことです。どうして、人のそしりを恐れないで、ののしりにくじけないでいられるというのですか。
・8節/
・ローマ15:3,Tペテロ2:23〜24/

9 この例えは、神様がご自分の民に辛くあたる者に対処してくださるということです。ですから、私たちは神様に委ねて、もう他人のそしりやののしりを恐れないでいい、心騒がせないでいいのです。私たちのために、イエス様が十字架で、人々のそしりやののしりを受けてくださいました。人々からそしりやののしりを受ける時、この御言葉の約束を覚えるならば、どんな思いに導かれますか。
・Tペテロ2:21〜22/(参考)
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「命の実を刈り取ろう」

 私たちを救うために、神様は、ご自分の一人子イエス様を私たちの身代わりに十字架にされました。ここに、私たちへの慰めの土台があります。ですから、救いの恵みを受ければ受けるほど、神様の御言葉に耳を傾け、神様に注目して生きるようになります。 問題にあう度に、神様の慰めを受けることができることを願います。イザヤ51:3。

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