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14 苦しみの中での祈りと答え(イザヤ51:9〜16)

「心の門を開いて」

 前回捕囚の民への慰めを学びましたが、慰めを必要としている民の中には、もっと苦しみ、絶望に陥っている者がいました。もっと慰めや励ましを必要としていました。預言者イザヤは、そんな民に代わって、祈りをささげました。時には、私たちももっと慰めや励ましを必要とします。ですから、苦しみの中での祈りと答えを聞きましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 前回のように民に慰めを語りながら、周囲の民を見渡すと、その顔が暗く、酷く絶望し、苦しんでいるように見えました。そこで、イザヤは、主に祈りました。どんな祈りですか。(ラハブも竜も、エジプトを指した表現です。)
・9〜10節/
・出エジプト14:21〜22/

2 昔エジプトは、富と力を持っていた当時最大の強国でした。そのエジプトを退け、出エジプトの神の民を守ってくださいました。かつてしてくださったように、今のこの民にもしてくださいととりなし祈っているのです。このように祈ったことはありませんか。また、これから難しい状況に出会うなら、どのように祈ろうと思いますか。



3 問題の渦中にある時、まるで紅海の前に立つ出エジプトの民のように、前には海、後ろにはエジプト軍というように、問題ばかりを見て絶望してしまうかもしれません。逃れる道が全くないように思うでしょう。絶望して文句を言う民に対して、モーセは何と言っていますか。どうするように勧めていますか。
・出エジプト14:11〜14/
・詩篇121:1〜2/

4 過去を振り返るなら、すでに神様が私を助け、守ってくださった恵みを思い起こすことができます。ですから、イザヤが「〜したのは、あなたではないか」と祈るように、私たちも、そのように祈ることができます。捕囚の民のために切実に祈るイザヤのとりなしの祈りに対して、神様は確かに答えてくださいました。どのように答えてくださったのでしょうか。
・11節/

5 確かに、捕囚の民は、捕囚の苦しみから解放され、帰還した民は、賛美して、シオンに入りました。10節のように、ここでも「主に贖われた者たち」と言っています。「贖われた」とは、代価を払って買い戻されたという意味です。神様が犠牲を払って神の民とされたということです。救われた私たちは、どのように贖われた者ですか。
・マタイ20:28 /
・Tテモテ2:6/

6 苦しみと悲しみの中で大きな慰めを必要している者に対して、神様は何と宣言されておられますか。「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める者だ」と繰り返し強調され、「慰める」という動詞も強意形で記されています。だから、どうすることができるというのですか。
・12節/
・ピリピ4:6/

7 天地のすべてを造り、すべてを治め、裁かれる方、そのお方が私たちの神であるのに、他に何を恐れるのでしょうか。何でも申し上げて、聞いてもらえるのです。ご自分の民を慰めてくださる神は、捕囚からの解放とエルサレム帰還について彼らをどのようにしてくださると言っていますか。それは、どういうことですか。
・14〜15節/
・ローマ8:32/

8 捕囚の民は、捕囚から解放されるだけでなく,バビロンからエルサレムへの帰り道においても、守ってくださるという約束をしてくださいました。神様は、ご自分の民を守るためには、私たちに関係するすべてに関わってくださるとまで約束されているのです。どうしてそれほどまでにしてくださるのですか。
・ヨハネ1:12/
・16節,イザヤ40:1/

9 天地万物の中で小さな存在でしかない私たちに、天地の創造主である偉大な神様が関わってくださると約束されています。世の表現を用いるなら、私たちを救った責任を取ってくださるということです。どれほど感謝なことでしょうか。あなたは、人生の様々な問題に出会う時、神様に対してどうしますか。


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架の犠牲を信じることにより、神様が私たちの神となられました。こんな偉大なお方、強力なお方が助けてくださると言うのです。確かに人生には問題が起きます。どうにも受け入れ難い出来事にも遭遇します。ですから、祈らなければなりません。私たちが苦しみや悲しみの中で祈るなら、神様は天地のすべてを用いて、私たちを助けてくださいます。これが私たちへの慰めです。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。ピリピ4:6。

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