小グループで聖書を学ぶ
16 良いことを知らせる足(イザヤ52:1〜12)

「心の門を開いて」

 新しい年を迎える時、人々は新年の願いとか新年の抱負を考えたりするようです。私たちはどうでしょうか。今日の御言葉から、神様が私たちに与えてくださる私たちの新しい年の願いとか抱負を学びたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ペルシアによってバビロンが滅びて、捕囚になっていた民は解放され、エルサレムに帰還ができるようになりました。喜びの知らせです。ところが、ユダの民の中には、すっかりその地の生活に慣れてしまった人々、バビロンで基盤を築いていた人々がいました。商売に成功した人たちやペルシア帝国で出世した人たちもいました。エルサレム帰還を喜ばず、帰ろうとしませんでした。なぜですか。どんな思いが考えられますか。
・創世記19:16/(参考)
・ピリピ3:4,Tヨハネ4:16/(参考)

2 ユダの人たちの中には、エルサレム帰還について戸惑い、悩む人々も多くいたようです。バビロンで持っている物のために、エルサレム帰還を決断できませんでした。バビロンで裕福でもなく、出世していなくても、エルサレムの荒廃や再建の困難や不安を思って、帰還を躊躇する人々も多くいたでしょう。そこで、神は預言者を通して語りかけられました。どんな約束をして、帰還を促されましたか。
・1〜6節/


3 1節の「無割礼の汚れた者はもう二度と入っては来ない」とは、もう外国の軍隊に蹂躙されないという約束です。3節では、値なしに解放してくださると約束されました。6節の「わたしの民はわたしの名を知る」というのは、人格的に神を知る、神が働いてくださることを知るという約束です。そのような約束を聞けば、民のどんな思いになりますか。
・詩篇50:15/
・エレミヤ15:21/

4 エルサレムには、バビロン捕囚の時に残されていた民がいました。すでにいち早くバビロンからエルサレムへ帰還した者もいたでしょう。その人々は、人数が少ないために再建は進まず、周りの敵対する民族の妨害もあり、絶望に陥っていました。そのような人々にとって、御言葉を携えて帰還する、民の知らせはどのようになりますか。
・U列王記24:14/
・7〜9節/

5 バビロンに残っていた人々は、自分たちの様々な都合のために帰還することを躊躇していた人々です。すでに帰還した人々やエルサレムにいる民のことを考えてはいませんでした。しかし、自分の帰還が人々を励まし、助ける働きとなり、美しい良い知らせとなると聞きました。彼らは、どんな思いになるでしょうか。
・ピリピ3:8〜9/(参考)
・創世記12:4/(参考)


6 帰還して、エルサレムにいる人々の喜ぶ姿や賛美する姿を見て、自分たちの帰還がとても大切なものであることを知るでしょう。今日の礼拝と似ています。聖徒たちは、自分のために礼拝に参加しているつもりでも、それが他の聖徒たちの励ましや喜びになっているのです。そして、自分も他の聖徒たちの信仰から励ましや慰めを与えられます。ですから、ともに喜び、賛美する礼拝となります。これを知って、あなたは何を思いますか。
・コロサイ3:16/(参考)


7 この7節の言葉が、新約聖書に引用されています。昔神の民がバビロン捕囚からの解放の良い知らせを伝えることを、新約聖書では、何を伝えることとして教えていますか。私たちは、どういう者であると教えていますか。
・ローマ10:15/


8 良い知らせを聞き、良い知らせを伝える者の足が美しいと聞いたなら、彼らはどうしますか。神様が捕囚の民をバビロンから解放し、エルサレムへ帰還させると言われるのですが、捕囚の民がするべきことがあります。それは、何ですか。
・11節/
・エズラ8:31/

9 帰還のための約束の御言葉を聞き、その帰還が他の人々にとって励ましや喜びとなると教えられても、まだ帰還の旅の不安や恐れを持つ人がいたでしょう。神は、バビロンを去れというだけでなく、その旅路をどうしてくださると言っておられますか。不安の中に留まりますか。どうしますか。
・12節/

「命の実を刈り取ろう」

 神様は、聖徒たちの人生の旅路を同行して守ると言われます。救われた聖徒たちの人生は、イエス様とともなる同行二人です。教会でのみ神様に仕えるのではありません。家庭でも、職場でも、学校でも神様と同行していることを忘れないでください。私たちも、御言葉と福音を運ぶ者とされています。救いの恵みと祝福を受けた者は、それに応答して幸いに生きる者であり、良い知らせを伝える者となります。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。マタイ28:19〜20。

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