小グループで聖書を学ぶ

20.私たちはどう生きるのか(イザヤ9:18〜10:4)

「心の門を開いて」

 私たちは、ときおり人生をどう生きようか考えます。何も考えなければ、虚しく世に流されて生きてしまいます。たった一度の人生を罪と欲心によって生きてしまいやすいのです。間違った生き方をしていた北イスラエルの民の姿を通して、私たちは、どう生きるのか、神の民としての生き方を学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 北イスラエルは、神の民であったのに、どうして滅びに向かうようになったのでしょうか。譬えは、どういうことを説明していますか。
・18-19節/


2 やぶに火がついて燃え広がるように、イスラエル全体が悪くなってしまいました。ちょっとした一人一人の悪い行ないは、火のように広がり、他の人々も火のえじきのようになって行くということです。例えば、ちょっとした噂話が、どんどん広がり、人間関係を壊し、人の心を傷付けるようになります。個々人の悪い行ないによって、イスラエル社会全体に腐敗と不正が蔓延していました。現代社会も、混乱の中で道徳と価値観はすたれて来ています。この社会の譬えを学んで、どう思いますか。


3 悪行が広がるかどうかというのは、人が神様を恐れるか恐れないかということにかかっています。神様を恐れるならば、人がどんなに不正な手段で益を得ようとも、それに従うことはできません。神様が見ておられるためです。悪行が広がるようになったこの社会の大きな問題は、でたらめな礼拝にあったということです。神の民は、礼拝によって整えられ、守られ、導かれます。あなたは、神様を恐れて、考え、行動していますか。神様の臨在を覚える真実な礼拝を考えましょう。(参考/コロサイ2:23,ヨハネ4:24,ローマ12:1)



4 この国が滅んで行くのは、神様がくださることで満足できない彼らの欲心のせいでした。その欲心の結果、どのようになるのですか。人からかすめ奪うことや痛め付けることを「肉を食らう」と譬えられています。
・19-20節/

5 隣の人々のものをかすめ取り、強い者が弱い者を虐げることが横行したようです。しかし、それは、いずれ自分を助けてくれる人々がいなくなり、結局自分自身を滅ぼすようになると強調しているのです。このようなことをブーメラン効果と言います。悪事は結局自分に返って来る、まるで自分の腕を食べるようだと譬えられています。「結局自分に返って来る」というような経験がありますか。(参考/ガラテヤ6:7-8)


6 結局自分たちに返って来るなら、悪いことが戻って来るより、良いことが戻って来るようにした方がよいです。人々を助け、人々に仕えて行くならば、自分が助けられ、自分の仕えてもらうことになるのです。イエス様ご自身が世に来た目的は、何するためと言われましたか。イエス様を信じた者は、何のために生きる者となっているのですか。
・マタイ20::26-28/
・ローマ14:7-8/

7 北イスラエル社会における富める者・権力のある者は、実際には、どうやって自分たちを有利にし、貧しい人々や弱い者からかすめ奪っていたのですか。
・10:1-2/


8 富める者・権力のある者は、自分たちに有利な法を作り、貧しい人々、弱い立場にある人々には、不利益を被らせていました。現代社会も格差社会と呼ばれます。しかし、富める者や力ある者が助けるばかりでなく、彼らもやがて助けられます。情けは人のためならず、様々な人々が共に生きることが重要です。社会学博物学でも、競争原理ではなく共存共生の原理が着目されています。イエス様は、何と教えられましたか。
・使徒20:35/
・マタイ18:33/

9 裁きの時、人生の嵐が吹く時、彼らはどうするのでしょうか。避け所があるのでしょうか。彼らの人生に生きがいがあるのでしょうか。私たちは、どこに避け所を求めるのですか。私たちは、何に生きがいを持ち、栄光をあらわすのですか。(参考/詩篇62:7-8)
・3-4節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちの避け所はイエス様です。私たちの栄光は、自分の欲をまっとうすることではなく、人々を助け、人々に仕えることです。そのように生きることが、イエス様に救われた者として神様の栄光をあらわすことになります。どのような立場であれ、そのようにして神様の栄光をあらわす事が私たちの生きる道です。あなたは、この年、どのように生きようと思われましたか。ヨハネ15:8。

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