小グループで聖書を学ぶ
1 感謝があらわれる(コロサイ1:1〜8)

「心の門を開いて」

 「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」とは、昔の微笑ましい短い手紙として有名ですが、これは、鬼作佐本多重次という家康の武将が、討ち死に覚悟の戦場から書いたものです。この素敵なコロサイ人への手紙も、パウロが死を覚悟した獄中から書いたものです。そこに込められたメッセージを学ぶことにしましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロがエペソで3年間御言葉を教えた時救われたのが、コロサイ人のエパフラスです。彼がコロサイに戻り、福音をその地域に伝えて、コロサイ教会が立てられました。後に、パウロがローマの獄中で、エパフラスから教会の様子を聞いて記録したのがコロサイ人への手紙です。本文の書き出しの主題は、何ですか。
・1〜3節/
・Tテサロニケ5:18/

2 パウロは、コロサイの聖徒のために祈るたびに神に感謝していると書き出しています。しかし、その時、パウロはローマの冷たい獄中でこの手紙を書いています。感謝することができる状況であれば、感謝も当然ですが、明日をも知れない状況でも感謝しているのです。イエス様を信じて救われた者にとって、感謝することのできる根源は何ですか。
・Uテサロニケ2:13/
・エペソ2:5,8/

3 私たちは、イエス様が十字架に犠牲となられたという恵みによって救われ、罪の赦しと天国への命にあずかっています。それなのに、感謝しない人もいるのです。罪の性質は、何かが起きると、否定的に反応して、不平を言い、呟き、無気力にさせます。感謝の生活を妨げるものは、「比較、不平不満、心配と不安」です。そして、感謝させないもっと大きなものが「忘却と恩知らず」です。あなたは、どれが感謝の妨げになっていますか。
・ローマ1:21/
・ルカ17:16〜18、出エジプト16:13/

4 人は、祈るたびに、自分にはあれがない、これがほしいと自分の必要を願い祈ります。しかし、自分に与えられているものを見ません。感謝しないで、人を妬んだり、不平不満を発します。使徒パウロが祈るたびに感謝した三つの点とは何ですか。
・4〜5節/
・Tコリント13:13/

5 パウロが感謝した理由は、困難の中でも、聖徒たちに信仰、愛、希望があったからです。正しい信仰の本質は、救い主イエス様にあります。生活の現場で「イエス様ならどうされるだろう」(WWJD)という信仰で生きておられるでしょうか。信仰が、周りの人への愛としてあらわれていますか。サタンに試みられて、できないことはありませんか。
・エペソ5:10/
・Tヨハネ3:18/

6 聖徒たちは、神の国に希望を置いて生きていました。私たちも、天国への望みをもって生きています。神を離れては、何の望みもなく、滅びしかありません。神に望みを置いて生きていく人こそが幸いな人です。何よりも優先的に追求しなければならないのは、何ですか。
・ピリピ3:19〜20/
・マタイ6:33/

7 6節を見ると、コロサイ教会がこのように愛と信仰と希望にあふれるようになった理由がよく示されています。それは、何ですか。
・6節/


8 福音が伝えられても、反対したり拒んだりするのでなく、聖徒たちが素直に福音を受け入れたので、素晴らしいコロサイ教会ができました。聖徒たちは、福音を受け入れただけでなく、御言葉に従って信仰に生きて成長し、福音が広がりました。「恵みを聞き、本当に理解した」というのは、どういうことですか。
・Tコリント15:10/


9 信仰が成熟した彼らは、信仰をもって人々に接し、仕えて、証ししました。そうして、聖徒たちから福音が勢い良く広がりました。福音には生命力があります。御言葉の福音には、死んでいる魂を生かす生命力を持っています。コロサイ教会の感謝の姿は、コロサイ教会の初穂としての信仰の証し人がいたことにあります。それは、誰ですか。どんな信仰の人ですか。
・7〜8節/

「命の実を刈り取ろう」

 日本に住むクリスチャンは、言わば救いの初穂です。家族や地域、職場や学校で初穂なのです。ですから、福音の広がりは、私たちの信仰と生き方にかかっています。私たち一人一人が、その場や人々の中でのエパフラスです。感謝があらわれてくる教会、感謝があらわれる聖徒たちがいる所は、どれほど幸せでしょうか。これは他の人でもできるということではありません。まさに、そこに遣わされている私たちでなければならない使命なのです。小さな感謝の習慣が、自分と人生を新しくします。示されたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。Tテサロニケ5:16〜18。

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