小グループで聖書を学ぶ
3 神の御子救い主(コロサイ1:13〜20)

「心の門を開いて」

 ローマ帝国の迫害下にあったキリスト教徒は、信仰の印としてΙΧΘΥΣ(イクスース、魚)の文字や魚のイラストを用いました。それは、イエス、キリスト、神の子、救い主の頭文字をつなげたものです。今日、車のステッカー、様々なアクセサリー、商店や企業のロゴなどに用いられ、クリスチャンであることをあらわしています。パソコンの絵文字や記号で魚のイラストも作られています。今日の箇所を通して、イエス・キリストとはどういう方かを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 自分を取り巻く環境や問題によって、信仰が揺さぶられることがあります。その時、何を思い出し、何を掴んだらよいのでしょうか。コロサイの聖徒たちは、私たちと似た状況にありました。信じたばかりの彼らは、律法を守ることで救われるというユダヤ人の思想に揺さぶられました。彼らのために、パウロは、何を強調しましたか。
・13〜14節/
・20節/

2 律法を守ったり、修行を積んだりするということは、分かり易いし、それが信仰だと思い易いのです。それは、どんな救いの教理の否定することになりますか。聖書の教える救いは、何によると強調していますか。
・エペソ2:5,8/
・Uテモテ1:9/

3 「御子のうちにあって、贖い、すなわち罪の赦しを得ています」と言っています。贖いという言葉は、奴隷を代価を払って買い取ったり、身代金を支払って自由にすることに使用されました。これは、イエス様の救いの働きのどういうことを示しているのですか。
・14節/
・マルコ10:45/

4 コロサイの聖徒たちが最も揺さぶられる原因となっていたのが、グノーシス主義思想です。人間はある霊知(知識、認識)を持つことによって救済されると教えました。グノーシス主義は、霊肉二元論を主張し、精神は善だが、物質は悪であるとしました。神が人間になるなんてあるわけがない、教えの精神だけ受け取ればいいというもっともらしい言い方に、信仰が揺さぶられていたのです。まず、イエス様は、どういう方だと教えていますか。
・15,19節/
・ヨハネ1:18, 14:9〜10/

5 偽りを教える者たちは、肉体を持ったイエス様を天使より低い存在と教えました。しかし、ここでは御子という言葉が、繰り返し用いられ、神の御子ということが強調されています。イエス様がどういうお方だと教えていますか。
・16〜17節/
・ヨハネ1:1〜3/

6 被造物としての存在ではなく、すべてのものより先におられる神であることを強調しています。イエス様は、天地創造以前からすでに存在し、三位一体の神としてともに働いておられます。このようなイエス様が、信じた私たちの内に住んでおられるのです。私たちが問題や試みで揺れ動く時、このことを思い出すならば、どうですか。
・ヨハネ14:16〜17/
・マタイ28:19〜20/

7 18節では、イエス様を信じる者の信仰共同体である教会をイエス様の体に例えて、イエス様が教会のかしらだと教えています。そして、イエス様が、すべてのものの中心、基盤だと教えています。イエス様が教会の中心、聖徒の交わりの中心であることを忘れていることはありませんか。仕事や学び、生活や家庭など人生において、イエス様が中心、基盤となっていなければ、どのようになる危険がありますか。
・18節/
・ローマ13:13,テトス3:3/(参考)

8 イエス様が世に来られた目的は、十字架によって平和を作り、神と私たちの間に和解をもたらすことでした。それによって、人と人との間に平和をもたらすことでした。イエス様を信じてから、人との関係において何か変化があらわれましたか。人に対する思いが変わって来ましたか。
・20節/
・Uコリント5:17〜18,ローマ12:18/

9 コロサイの聖徒たちは、律法を守ることで救われるというユダヤ人の思想に揺さぶられました。律法を守ったり、修行を積んだりするということは、分かり易いし、それが信仰だと思い易いからです。グノーシス主義の神が人間になるなんてあるわけがない、教えの精神だけ受け取ればいいという尤もらしい言い方に、聖徒たちの信仰が揺さぶられていました。あなたは、信仰が揺さぶられたら、どんなことを思い出し、どのようにしますか。

「命の実を刈り取ろう」

 神の御子を忘れる時、教会はただの人の集まりとなります。個人の生活も、自分が中心となり、争いや不和が生じます。私たちのいるところどこにおいても、いつもイエス様が中心となるように祈ります。イエス・キリストが神の子であり、救い主であることを確信して、信仰の生涯を全うすることを願います。示されたことや導かれたことを分かち合い、祈りましょう。ローマ11:36。

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