小グループで聖書を学ぶ
11 天国人を生きる(コロサイ3:1〜4)

「心の門を開いて」

 人は何を考えるかで人生が違って来ると言われます。復活のイエス様を信じて、救われているということはどういうことなのか、イエス様を信じる私たちは、どのような存在であり、どのように生きる者になれるのか、今日の箇所から考えてみましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様の復活は、2千年前の出来事というだけでなく、現在のクリスチャンの生活を変化させるものです。イエス様を信じた者は、どういう者だと言っていますか。それは、どういう意味ですか。
・1節前半,3節前半/
・ローマ6:6〜8/

2 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪の自分が死んで、私たちがこれからは罪の奴隷でなくなるためです。死んでしまった者は、罪から解放されています。キリストの十字架とともに死に、キリストの復活とともによみがえらされることによって、私たちは、どのような存在となったのですか。
・ガラテヤ2:20/
・Uコリント5:17 /

3 私たちがイエス様を信じるということは、私たちのうちにある自我が完全に消えて、新しい命に生きる者になることです。イエス様に救われるとは、イエス様に出会って人生が変わり、考え方や判断が変わり、生きる姿勢や態度が変わることです。イエス様が自分を統治し、導かれることがクリスチャン生活です。古い自分は死んだ、新しくなったと意識していますか。今あなたの人生を導き、生活の中で重要な決定を下すのは誰ですか。



4 本当にイエス様の十字架とともに死んで、イエス様とともによみがえったのなら、人生の目的が変わり、ビジョンが変わり、価値観が変わります。クリスチャン生活の原則は、どのように表現されていますか。「求める」とは「探す」ことで、「思う」とは「愛着を持つ」という意味です。
・1〜2節/
・/

5 「上にあるものを求める」とは、意志の方向と関連があります。何を追求しながら生きているかということです。人生は、何に意識を向けるかで変わります。例えば、試練や問題が起こった時、他の人や終わった出来事ばかりを意識するならば、悩みは深まり、思考停止状態になります。解決策や自分を変えることを意識すれば、解決や展開へと変わるでしょう。なぜ、天の御国に愛着を持ち、主の御心を求めるのですか。
・ピリピ3:20/
・ヨハネ3:3/

6 私たちの関心は、あまりにも地上のことに注がれ、天の御国を忘れてしまっているのではないでしょうか。もちろん、上にあるものを求めると言っても、家庭生活も職場生活も学校生活も求めないというのではありません。地のものを願ってはいけないということでもありません。どうすればいいのですか。
・マタイ6:31〜34/
・Tコリント10:31/

7 心理学者アドラーによれば、「人は変わることができる」しかも 、「亡くなる2,3日前まで可能だ」と言っています。「いのちは神のうちに隠されてある」というのは、私たちの命が、神の命の書に記されているということです。永遠の命を与えられ、神の人に変えられたというのです。新しい生活をする存在に変わったということです。想像してみてください。一度死んだけれど、生き返ったとしたら、どんな思いになりますか。
・3節/
・黙示録3:5/

8 イエス様を信じて救われた人は、イエス様の十字架とともに死んで、イエス様の復活とともによみがえらされました。やがて、イエス様は、救われている者に対してどうしてくださると約束しておられますか。
・4節/
・Tテサロニケ3:13/

9 私たちは、永遠の命を与えられた天国人です。やがて主が来られるので、私たちがこの地上を離れる瞬間まで、主にお会いする思いを持って生きます。今目を閉じたとしても、主の御国で目を開くので、上にあるものを求めて、天の御国を慕って生きていくのです。自分に対して賞賛と褒美を準備して待っていてくださる主が、来られることを信じている人は、どのように生き方が変わりますか。あなたは、どうですか。


「命の実を刈り取ろう」

 再臨の主に会う備えのある人は、意識が違います。考え方や価値観が違います。生き方も違って来ます。地上のことばかりに関心を持って、私たちのすべてを注ぐには、あまりにももったいない。しかも、人生はあまりにも短いので、あれこれを追求している間に地上の生活が終わってしまいます。主が喜ばれ願われることに関心を向けて、天国人として生きて行きましょう。適用を分かち合って、互いのためにお祈りください。ガラテヤ2:20。

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