小グループで聖書を学ぶ

主に喜ばれる子どもの教育(コロサイ3:20〜21

「心の門を開いて」

 人々は、子どもの教育に大きな関心を持っています。子育て、子どもの教育というと、どのように躾けるか、どのように育てるかと考えます。しかし、子どもの最大の教科書は、親そのものです。聖書を見ると、どうすれば、子どもをよく育てる親になれるかを教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 神様は、私たちに子どもを贈り物として与えてくださいました。ですから、親は責任をもって育てなければなりません。そのために、まず必要なことは、子どもを育てる親自身が親になることです。世の中で人を養い世話をする仕事で、学びや訓練を経ることのない仕事があるでしょうか。そのような意味で20節を読む時、どんなことに気付かされることになりますか。
・20節/
・申命記12:28/

2 この御言葉を読むとき、まず親が神様に従うことを学ばなければならないと気付かされます。私たちが神様に従って、神様から学んで、神様に導いてもらわないで、どうして子どもを育て、従うように言えるのでしょうか。天地万物を造られた神様に真摯に向いて、御言葉に聞き従って生きて行くのを見せなければなりません。その姿から子どもは学びます。このことについて思うことは何ですか。
・Uテモテ3:16〜17/


3 親自身が御言葉から学び、神様に育ててもらうことが必要です。神様に従うことで慰めと導きを受けることが必要です。御言葉は、子どもに対してどうすべきだと言っていますか。この意味を考えてみましょう。
・21節/


4 子どもを怒らせないで、ご機嫌を取るのかと誤解されるかもしれません。そうではありません。親が権威を振りかざすことで子どもを興奮させたり、激しい言葉で刺激したりして怒らせることです。そんな時、子どもは心に傷を受け、憤慨するようになります。なぜ、子どもが怒って、気落ちするのですか。どんな時、落胆し、憤慨するのでしょうか。



5 子どもが親から拒否されたり、否定されたりするのが一番挫折するし、劣等感を覚えるのです。大人も同じです。親から他の人と比べられる時、子どもは自尊心が傷つき落胆します。子どもに必要なのは、賞賛と励ましです。何か思い当たることはありますか。



6 親から無視されることで、子どもは怒ります。親の思い通りにならない、言うことを聞かないからと子どもを無視したら、子どもは悲しみ、怒ります。親から関心を持たれないならば、子どもは気落ちしてしまいます。愛とは、関心を持つということです。親が自分を気にかけてくれることを知って、子どもの心は安定し、豊かになります。何か気付かされることはありますか。



7 親の身勝手、偽善は、子どもを憤慨させます。子どもにそうなるように望むならば、親がまず行動してみてください。子どもの心に怒りを引き起こす原因の1つは、親の一貫性のない言動です。親が立つべき明確な土台、基準とはどういうことですか。
・エペソ6:4/


8 教育は予防であり、訓戒は治療と言われます。訓戒だけ与える親がいます。子どもたちが怒り、気落ちするのは、責め、叱ることだけをするからです。世の教えは時代の流行、人の勝手による変化があります。子どもたちも、主の御言葉によって教育される必要があります。御言葉はどういうものですか。
・Tペテロ1:24〜25/


9 神様が人生の主であることを教え、生活の導き手である神様に従うことを教えなければなりません。この世の風潮や価値観に流されるのでなく、生きる基準が何かを教えなければなりません。どういうことですか。
・ローマ12:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 親がまず神様の御言葉に従って生きる姿を見せて生きて行く時、従順な子どもに変わります。神様は、私たちを愛し、救い主イエス様をくださったお方です。神様は、子どもの養育に混乱し疲れた親たちが、子育てのための知恵を求めるならば与えてくださいます。子育ては大変ですが、どんなものよりも素晴らしい仕事です。倦み疲れた親たちも主が癒してくださり、子育てを助けてくださいます。適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ8:32。

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