小グループで聖書を学ぶ
15 そこでイエス様に仕えている(コロサイ3:22〜4:1)

「心の門を開いて」

 感染症対策によって、休業や休職、テレワークや自宅待機等々、仕事の環境が激変しています。多くの人々が、束縛や不自由さ感じながら、不安や焦燥感の中にいます。聖書では、仕事や働きについてどのように教えているのでしょうか。きょうの箇所から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 コロサイの聖徒たちは、その身分からどんな労働環境、どんな職場だと考えられますか。どのような気持ちで働いていたと思われますか。
・22節/


2 聖徒たちは奴隷という苛酷な労働環境にいましたが、現代も職場は仕事の成果や結果を要求し、仕事上の職制をあたかも身分制度のように支配し抑圧する上司や経営者もいます。職場での圧迫や人間関係の中で苦しみ、病む人々も多いです。奴隷が主人に従うのは当たり前なのに、どうして主人に従うことを勧めているのですか。
・22節/
・Tテモテ6:1/

3 奴隷は、主人の目に見える時はしっかり働き、主人の目がなければ仕事をさぼります。無理やり働かせる主人に対する不満や恨みをしきりに口から出すというのが、奴隷の姿でした。聖徒たちは、まだそのような奴隷根性との葛藤の中にいたようです。人よりも主を恐れる奴隷になれば、どのような姿勢で仕事をするようになると言うのですか。
・23節/


4 「何をするにも、主に対してするように」という大原則に、大きな転換点があります。仕事をいやいやする、見られていなければ適当にする、不満や恨みをもってする奴隷根性ではなく、主に対して仕えるように真心から主人に従って、誠実に働いて行くのです。この原則で、職場や学校、家庭で働き、生活をしてみるならば、私たちの現場や仕事がどのように変わると思いますか。
・ルカ6:38/(参考)
・テトス2:9〜10/(参考)

5 仕事は会社だけではありません。学校の勉強も仕事、家庭も職場です。それぞれ置かれた現場で、命令に従い、仕えています。時には不満や恨みも生じます。それでも、私たちは、それぞれ置かれた生活の現場で、どうしているはずと気付かせていますか。
・24節後半/


6 多くのクリスチャンが、日曜日の礼拝生活と週日の職場、学校、家庭での生活を区別しています。それでは、日曜日と週日はまったく違う二重生活になります。あなたは、日曜日の自分と週日の自分を区別していませんか、同じ生活ですか。



7 人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、信仰をもって誠実に働いたとしても、世の現場では確かな評価や報酬を得られるとは限りません。とりわけ、家庭の仕事は、多大な献身を必要とするにもかかわらず、きちんとした評価や報酬のない職場です。反対に、人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方で評価や報酬を受けることもあります。評価や報酬について、聖書は何といっていますか。
・24〜25節/


8 今日ビジネスの世界では、「サーバントリーダー」という言葉があります。「真のリーダーはフォロワーに信頼されており、まず人々に奉仕することが先決である」と提言しています。部下を支配するのではなく、支援し奉仕するリーダーシップです。聖書は、奴隷の主人に対して何と勧めていますか。あなたは、どんなリーダーになろうと思いますか。
・コロサイ4:1/
・エペソ6:7,9/

9 人はイエス様を信じて救われた時に、新しい人に造り変えられます。すべてが新しくなります。世界を見る視点が変わり、価値観も変わります。人々との関係も変わり、人々に対する態度が変わります。ですから、家庭や職場での仕事観も変わります。働く意識も変わります。どのように変わりましたか。どのように変わりたいですか。
・Uコリント5:17/
・ローマ12:2/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、自分に与えられた仕事をする時、主に対してするという姿勢で心を尽くさなければなりません。それが、人々に仕えることになり、人を癒すことになり、神の仕事になります。ですから、仕事をする時は、主が見ておられる、主から与えられたことをするという思いでします。これが、私たちが持つべき職業観であり、仕事のための姿勢です。私たちがそのように生きて行く時、私たち自身も生活の中で幸福感が与えられ、満足と喜びを享受することができます。気付かされたことや発見したことなどを分かち合い、互いのために祈りましょう。マルコ10:45。

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