小グループで聖書を学ぶ
12 古い人を脱いで、新しい人を着なさい(コロサイ3:5〜14)

「心の門を開いて」

 マーク・トウェインの「王子と乞食」という小説では、乞食のトムと皇太子エドワードが戯れに服を交換すると、乞食の服を脱いで王子の服を着た乞食が、王子とみなされて王宮生活をします。服が身分をあらわしていたのです。今日の箇所が古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着なさいと言っているのは、どういうことでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 現代は、欲望の資本主義が横暴を極めている時代と言われます。グローバル化の競争は、少数の繁栄のために多数の人間が苦しめられ、生態系までも破壊しています。人々は、自分の利益、自分の欲望を優先し、社会では、人命よりも経済が優先されています。現代は、危機の中にあります。脱ぎ捨てるべき古い人とは、どんな姿ですか。
・5節/
・8〜9節/

2 資本主義のシステムと利益の中に生きている私たちも、むさぼりの罪の影響を受けています。天国人であることを忘れると、世の様々な偶像に囚われてしまいます。偶像は財産や権力だけでなく、自分の思い通りにしたい、肉のプライドの満足や人に認められたい願望も偶像になります。以前は、どんな偶像に捕らわれていたと思いますか。
・7節/


3 8〜9節に列挙されていることは、すべて口から出るものです。言う人はそれほどでなくても、聞く者の心は傷つき、怒りや憎しみを引き起こします。すぐに人の足りないことや間違いを指摘すること、簡単に怒りを吐き出すことも、時には人格を否定する危険な武器となります。人間関係が破壊されます。言葉のことで何か思いあたることがありますか。
・ヤコブ3:2,8/


4 古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨ててしまえという勧めを謙虚に聞かなければなりません。脱ぐだけでは駄目です。服を脱いだら、別な服を着なければなりません。私たちには、着るべき服があるからです。新しい人として着るべきものは、何ですか。8〜9節に出てきたことと比べるとどうですか。
・12〜14節/

5 12〜14節は、8〜9節とは、まったく正反対の態度です。それらは、人の心を癒し、和ませ、人を養い、育てる言動になり、人間関係を回復させ、整えます。人の性質の問題ではありません。身分が変わり、存在が変わったので、そのようなものを身に着けるようになります。様々な人がいます。古い人の時は、その違いのために怒り、争ったりしますが、新しくされたなら、どうなるのですか。
・11節/
・Tヨハネ3:23/

6 イエス様によって、私たちの身分が変化したなら、生活も変わらなければならないでしょう。人間関係で大きな問題になるのが、相手に不満を抱き、赦せないと思う心です。人の言動で心が傷つけられ、怒り、憎しみが心に残り続け、赦せない思いとなって留まり、深く長く続きます。それが古い人の姿ですが、新しくされた者は、どうしなさいと命じていますか。そうできる理由は、何ですか。
・13節/
・エペソ4:32/

7 聖なる者とは、神のものとされた者という意味です。神様に選ばれた者、聖なる、愛されている者だなんて、どれほど感動を覚える存在でしょうか。身分が変わり、新しい人を着たのです。社会では、制服を着た者は、その立場に相応しく振る舞い、働くものです。私たちが新しい人の服を着ていると意識したら、どうですか。
・12節/
・エペソ4:24/

8 御言葉は、古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着なさいというのですが、ここに2つの誤解が生じます。御言葉はそう言ってもそれは無理だ、新しい人を着るなんて大変な努力が必要だと言ってスルーしてしまうか、古い人の姿から抜け出られない、成長できない私は駄目だと落ち込んでしまう反応です。新しくなるのは、誰の力によるのですか。
・10節/
・コロサイ2:12/

9 イエス様の十字架を信じることで、神様が私たちを新しくされます。つまり、新しい人として生きていく人生は、神の力によるのです。神の働きを語るときに、神の名を記さずに「よみがえらされた、新しくされた」と、しばしば受動態で表現されています。神的受動態、神聖受動態と呼ばれています。ローマ12:2の「変える」という動詞も、原文では受動態命令形です。神的受動態が効果を発するには、私たちに何が必要ですか。
・ローマ12:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 新しくされるという聖化は、神的受動態の結果起こる祝福です。私を新しくして、変えてくださることを神様に信頼して委ねて、従ってみましょう。新しい人に変えられます。イエス様が私たちの代わりに罪人を着て十字架にかかってくださり、イエス様を信じた私たちはキリストを着て新しくされ、イエス様に似た者とされて行くのです。決心したことや導かれたことを分かち合い、祈りましょう。ガラテヤ3:27。

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