小グループで聖書を学ぶ
19 非常に苦労して(コロサイ4:12〜14)

「心の門を開いて」

 人生には、多くの苦労が伴います。小さな苦労に加え、時には災害や事件によって大きな苦労を強いられることもあります。どう対処したらよいのでしょう。今日の箇所に登場する同労者は、苦労の多い人々です。この人たちの姿から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、エパフラス、「非常に苦労していた人」と紹介されています。彼は、なぜ、非常に苦労していたのですか。どんなことをしていたからですか。
・12〜13節/
・コロサイ1:7〜8/

2 エパフラスは、パウロがエペソで教えていた時にイエス様を信じて、故郷のコロサイに帰って伝道して、教会設立に最も貢献したようです。ラオデキヤとヒエラポリスというこの2つの町にも、巡回して働いたようです。その後、この聖徒たちの信仰を揺るがす問題のために、ローマにいるパウロを訪ねて来ました。ずっと、聖徒たちのことを心配して、非常に苦労していたのです。非常に苦労していたというと、何か悲惨な感じがするかもしれませんが、どうでしょうか。彼の祈りの内容から、どんな苦労だと思われますか。
・12節/
・Uテサロニケ1:3,Tテサロニケ1:3 /

3 エパフラスの苦労には、聖徒たちが信仰の確信を持って成長して行く、夢とビジョンがありました。エパフラスの姿は、夢とビジョンがあるならば、そこに生じる苦労は疲弊する苦労ではなく、愛の労苦になるのだということを教えてくれます。今苦労していることは、夢やビジョンにつながっていると信じていますか。



4 二人目は、デマスという同労者です。パウロは、コロサイ書を書いた後に一度釈放されたのですが、再び牢獄に入れられました。その頃書かれたUテモテ書を読むと、デマスの残念な姿が記されています。どうして、そうなったのでしょうか。状況の変化からデマスの心情を考えてみましょう。
・14節, Uテモテ4:10/
・Uテモテ4:7〜8,13/

5 パウロはもうすぐ殉教してしまう、他の同労者も次々といなくなった、自分だけ遣わされなかった等々とデマスの心には、否定的な思いが広がって行ったようです。それで、パウロを捨ててテサロニケに行ってしまいました。私たちも、苦労の中で惑わされて、苦労していることで誘惑を受けるでしょう。デマスのようになったり、テサロニケに行くようなことがありませんでしたか。
・Tヨハネ2:15〜16/
・/

6 私たちも、苦労が続くと世の方ばかりに心が向いて、悲観的、否定的な思いになりがちです。人生には、苦労しなければならないことも起こります。しかし、そうした問題にどう取り組むかで、先が違って来ます。苦労することについて心理学的意味づけをし、現実を再評価し、主観的成功を見出すのです。感情や行動が変わります。パウロの投獄を参考に、自分が労苦していることに意味づけをしてみましょう。
・ピリピ1:12〜15/
・ピリピ1:18/

7 ルカは、福音書と使徒の働きを記した有名な人ですが、名前は3箇所しか記録されていません。第2回伝道旅行の途中から参加し、その後もずっと一緒です。彼は、何をしていた人ですか。デマスと同じ状況にいたのですが、どのようにしましたか。
・14節/
・Uテモテ4:11/

8 パウロは、生涯病気に悩まされていました。多くの傷跡の痛みもありました。ルカは、医者としての名声や裕福な生活を捨てて、パウロの主治医となり、ずっとともにいて苦労し続けました。デマスがパウロを捨てて行った後でも、ルカだけはパウロとともにいました。ルカがずっと労苦し続けられたのは、どうしてなのでしょうか。ルカの信仰の思いを想像してみましょう。
・Uコリント4:5/(参考)
・ローマ15:16/(参考)

9 ルカは、そんなに苦労しているように感じさせません。目立たずに淡々と労苦を受け止めていました。現代の精神科医の言う「ネガティブ・ケイパビリティ」(どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える力)を知っていたかのようです。何かができる能力ではなく、できない状況を受け止める能力とも言えます。不確かさの中で事態や情況を持ちこたえながら、対象の本質に深く迫る方法です。苦労していることについて、そのような対処をしてみたら、どう変わりそうですか。


「命の実を刈り取ろう」

 労苦は生涯尽きないでしょう。苦労は格闘するのではなくて、経験する苦労とどう向き合い、何を学ぶかです。何よりも、私たちは、イエス様を信じて救われているのですから、すべてを支配しておられる神様を信頼して、労苦しながら歩みましょう。受けた気付きや適用を分かち合い、祈りましょう。マタイ6:33〜34。

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