小グループで聖書を学ぶ

役に立たないしもべ (ルカ17:1〜10)

「心の門を開いて」

 私たちの心に様々な躓きが起こります。とりわけ、人間関係において、傷付き、赦せない思いになり、その思いにずっと囚われることがあります。その時、私たちは世の習慣や自分の思いだけで対応することが多いかもしれません。しかし、私たちにとって大切なことは、聖書の教えであり、主の御旨です。イエス様は、何と教えておられるのでしょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 聖書を誤解しているパリサイ人が、民を導くどころか、滅びへ向かわせていました。イエス様は、弟子たちがパリサイ人のように御言葉を誤解して人々を罪に向かわせることにならないように、どんなことに気をつけるように言われましたか。
・1〜3節/


2 まず、罪を犯している兄弟に対してどうするように言っていますか。そのためには、どんなことに気をつけなければなりませんか。
・3節前半/
・マタイ18:15,Tコリント16:14/

3 罪を犯している兄弟に対して知らんぷりしないように、愛をもって指摘するように教えられています。その際、どこまで愛をもって臨むかが鍵となるでしょう。罪を犯した者が悔い改めるなら、どうするようにと教えていますか。繰り返されるその内容はどれほどですか。
・3節後半〜4節/
・マタイ18:21〜22/

4 誰かが自分に対して罪を犯す場合、どれほど傷付き、赦せない思いになることでしょうか。自分の心が躓き、怒りや憤りが残ってしまうこともあるでしょう。そんな経験があれば、お分かちください。



5 イエス様は、一日に7度悔い改めたら、7度赦してあげなさいと教えておられます。他のときには、7を70倍するまで赦しなさいと言っておられます。弟子たちは、どう思ったでしょうか。それで、どんな質問をしましたか。
・5節/


6 弟子たちは、繰り返し赦すことなんて、とても受け入れられない、無理だ。そのように思ったようです。イエス様がしなさいというのであれば、そうできるように信仰を増してください、と願いました。そんな弟子たちの戸惑いと願いに対して、イエス様の答えはどうですか。弟子たちの願いに応えていますか。その譬え話は、弟子たちの願いと比べ、どのように意外な答えとなっていますか。
・6節/


7 弟子たちは、信仰が大きくなればできると考えたのですが、主は、からし種ほどの信仰があれば、できると教えられました。小さい信仰でも、生きている信仰であれば、その通りになる、「できる」と教えてくださいました。自分の信仰をどう思っていましたか。イエス様の教えを聞いて、どう思いましたか。



8 赦した後のことも教えておられます。そのために、どんな譬えで教えておられますか。その譬えていることは、赦した後のどのような気持ちや考えに対してですか。
・7〜10節/


9 主人に任された仕事をなしとげるのが、しもべの当然の務めです。赦してあげたからといって、誇るべきではないし、称賛してほしいと考えてはならないと教えておられます。なぜ、「役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」とまで言わせているのですか。10節で「なすべきこと」と訳されている言葉は、直訳すれば、「負債」という意味です。私たちは、返すべきどんな負債があるのですか。
・マタイ6:12/
・マタイ18:32〜35/

「命の実を刈り取ろう」

 マタイ18:23以下で話された譬え話は、私たちがイエス様の十字架によって、無制限に赦された者であることを忘れないで、互いに赦さなければならないことを教えておられます。主の祈りにおいて、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」(マタイ6:12)と祈らせているのは、私たちの信仰が生きてさえいれば、赦すことは、いつでも可能だと教えています。すべての教会の働きは、赦しの愛を知らせることです。悔い改めることのできる恵みを与えておられます。ともに天国へ行くためです。きょうの学びで、気付かされたこと、悔い改めたこと、決心したことなどがあれば、分かち合いましょう。

戻る