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きょうわたしとともにパラダイスに(ルカ23:33〜43)

「心の門を開いて」

 社会では、暴言、陰口によるイジメが横行しています。日本では言葉の暴力は罪にならないとDVの被害者が訴えています。罵りや嘲りは、身体的暴力よりも、心に大きな傷を与えます。子どもの場合、暴言を受けるのは暴力を受ける場合の6倍も、脳へのダメージが大きいそうです。イエス様の十字架の場面は、まさに罵りと嘲りに満ちていました。主の受難の姿からメッセージを学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様が強盗と一緒に十字架刑につけられた光景を見ながら、そこにいた者たちは、イエス様を罵り、嘲っています。どんな人たちがどんな嘲りをしていますか。
・33節/
・35〜39節/

2 権力者たちは、救い主イエス様に対して、「自分を救ってみろ」と皮肉を言っています。人を罵り、嘲る者は、その悪口雑言を浴びる人にとって心が痛くなるようなことをわざと言うのです。兵士たちが「これはユダヤ人の王」というのは嫌がらせでした。社会では、あだ名や別称をつけて罵ります。同じ十字架刑にされた強盗も、悪口を言っています。罪の性質は、自分がされた嫌なことなのに、人にもしてしまうのです。どんな嘲りや罵りを受けたことがありますか。



3 イエス様は、救い主として人々のために苦しみを受けてくださいました。私たちの大きな苦しみの一つは、人から嘲られ罵られること、悪口や陰口を言われることです。イエス様を嘲り、罵る人々に対して、イエス様は何とおっしゃっていましたか。これは、どういうことですか。
・イザヤ53:3〜4/
・34節/

4 私たちが、悪口や罵りを受けたならば、このイエス様の御言葉を思い出し、あの人は自分が何をしているのか分からないあわれな人なのだと思い、主に委ねます。物理学者パスカルは、「すべての人が罪人です。ただ、自分が罪人であることを知らない罪人と自分が罪人であることを知っている罪人がいるだけです」と言いました。もう一人の強盗は、何と言うようになりましたか。この人の心に、どんな変化が起きたのですか。
・マタイ27:44/
・40~41節/

5 もう一人の強盗は、イエス様に悪口を言う強盗をたしなめ、自分の罪を認めて、悔い改めました。イエス様が罪のない方であると分かりました。イエス様は、痛めつけられ、罵られ、嘲られても、黙っている姿を見て、苦難のしもべ、救い主だと信じました。それで、イエス様に対して何と言うようになりましたか。
・イザヤ53:5〜6/
・42節/

6 42節は、驚くべき信仰告白です。この一言に、信仰そのものが込められています。イエス様の御国、天の御国を確信し、死を超えて存在する天国に入ることを望みました。どうして、この人が自分のして来たことに気付き、悔い改め、イエス様を信じるようになったのでしょうか。何がこの人を変えたのでしょうか。
・34節/
・ローマ8:34/

7 この強盗の信仰告白に対して、イエス様が驚くべき恵みの約束をしてくださいました。それは、どういう意味ですか。
・43節/
・ピリピ3:20/

8 この人の魂は、その日イエス様と一緒にパラダイスにあるというのです。なんという素晴らしい、驚くべき恵みでしょうか。イエス様は、この人の信仰の告白を聞いて、瞬時に天国の民として受け入れてくださいました。私たちにも、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と言われています。どんな気持ちになりますか。



9 こうして、2人の強盗は、同じ境遇でイエス様の言葉を聞いたのですが、一人は、最期までイエス様を嘲り続けながら、むなしく死にました。しかし、もう一人は、信仰告白をし、瞬時に素晴らしい天国の約束をいただきました。御言葉への応答の違いが、2人の強盗の間に、途方も無い違う結果をもたらすことになりました。このことは、何が大事だということを示していますか。
・Uコリント6:2/


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様が、十字架刑の強盗の信仰告白を聞いて、「きょう、わたしとともにパラダイスにいます」と約束してくださったことは、私たちに希望を与えてくれます。強盗は最期に死の淵から悔い改めて、イエス様を信じて救われ、天国に入ることができました。きょうという日に信仰を告白し、生き方を変えることが大切です。学びを通して与えられた気付きや決心等を分かち合い、祈りましょう。43節。 

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