小グループで聖書を学ぶ

神を慕い求める(ルカ5:12〜16)

「心の門を開いて」

 「今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。」ルカ6:21。飢えている人は満ち足り,泣いている人は笑うようになります。矛盾に聞こえますが,それが可能な理由は神を慕い求めるからです。今日の箇所には神を慕い求める姿勢についてよく書かれています。ツァラアトに冒された人はイエス様により頼み,神を慕い求める者でした。後には神の恵みを証しする者になりました。私たちみんなが神を慕い求める者になりますよう願います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 「イエスがある町におられた」と書かれていますが,イエス様の周りにはどんな人々がいましたか。
・マタイ8:1/
・15節/

2 ツァラアトに冒された人はどんな生活をしていたと思いますか。
・レビ13:45,46/


3 全身ツァラアトに冒された人が、人々の集まっているところに来ることは当時非難の対象にされることでした。しかし彼がイエス様の前にひれ伏したのはどんな意味をもっていますか。
・12節a/
・民数記5:2〜3, 黙示録11:16/

4 癒しを求めてイエス様にひれ伏した彼の願いを聞いてどう思われますか。私たちの祈りの姿勢も省みてみましょう。
・12節b/
・マルコ14:36/

5 ツァラアトに冒された人に触ると汚れた者になると言われています。しかし,イエス様は手を伸ばして彼にさわられました。それはどんな意味があると考えられますか。
・13節/
・レビ22:4〜6, ルカ18:15/


6 「誰にも話してはいけない。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。」と言われました。なぜだと思いますか。
・14節/
・レビ記14:2,20/

7 ツァラアトに冒された者は人々から虐げられて来ました。しかしその中でもイエス様を慕い求め,変えられたのです。私たちもどんな状況でもイエス様を慕い求める事ができます。そして変えられます。そのような経験があれば分かち合ってみましょう。またはこれから変えてほしい事があれば分かち合い、共に祈りましょう。



8 祭司は捧げものの血をとって、きよめられる人の体に塗ります。それはきよめられた者がその後どのように生きていくかを教えています。どんな生き方ですか。
・レビ記14:14/


9 群衆がイエス様の周りに集まって来ましたが、イエス様はどうなさいましたか。なぜそうしたのですか。
・15〜16節/


10 イエス様はしばしば祈るために「寂しいところ」(別の箇所では荒野)に行かれました。なぜ寂しい所で祈られたのでしょうか。
・ルカ4:42, 3:2,4/

「命の実を刈り取ろう」

 全身ツァラアトに冒された人の病は自分が願った事ではありません。突然病にかかり大変な苦しみと悲しみの中で生活をしていました。しかし彼はイエス様により頼むことによって癒され、証しできる人生に変わりました。
 私たちも問題や困難な状況に囲まれている時があります。しかし,どんな状況でも神を慕い求め,神様の御心を伺えば,必ず導いてくださいます。
 寂しくて孤独な荒野のような環境におられますか。そこは神様との交わりが深くなり豊かになる所であると聖書は教えています。
 自分の姿ばかりを見つめたり,又は周りと見比べて落ち込んだり,心配している時でもイエス様は私たちを変わることなく愛して下さり、私たちが主に依り頼む祈りを待っておられます。
 私たちは神を慕い求めて,御前に進み出ましょう。癒され、祝福を受けることができます。証し人になりたいのです。受けた導きを分かち合い、祈りましょう。詩篇42:5。

戻る