小グループで聖書を学ぶ

イエス様は安息日の主です(ルカ6:1〜11)

「心の門を開いて」

パリサイ人は毎週安息日に会堂に集まって礼拝を捧げていました。彼らは熱心に安息日を守りましたが本来持つべき心を失っていました。私たちは、パリサイ人を反面教師にして、神に喜ばれる心と神に喜ばれる礼拝について学びたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1.安息日にイエス様は弟子たちと麦畑を通っておられました。なぜ、弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べましたか。
・1節/
・マタイ12:1/

2.パリサイ人は弟子たちが安息日に律法に許されていないことをやったと文句を言っています。本来、安息日はどんな意味を持っていますか。
・2節 /
・出エジプト20:8,11 /
・申命記5:15 /

3.祭司はダビデと供の者たちが空腹になったとき、聖別されたパンを与えました。それは律法を文字通りに守るためには、してはならないことでした。それにもかかわらず、祭司が聖別されたパンを与えた理由は何だと思いますか。
・3-4節 /
・マルコ2:27 /

4.イエス様は「人の子は安息日の主です」と言われました。「人の子」はイエス様のことです。安息日の主であられるイエス様が喜びとするのは何でしょうか。
・5節 /
・マタイ12:7 /
・イザヤ1:10-11 /

5.イエス様が教えておられた会堂には右手の萎えた人がいました。彼は利き手が使えないので、相当苦しんで生活をしていたと思います。その当時、人からは神の罰を受けたと思われ、冷たくさげすまれ、裁く視線で見られたかもしれません。しかし、彼はどんな気持ちで礼拝を捧げていたと考えられますか。
・6節/
・ルカ13:14 /

6.一方、律法学者たちやパリサイ人たちは、どんな心で礼拝を捧げていますか。
・7節/

7.イエス様は苦しんでいる人の心を知っておられ哀れむ心で人を癒してくださいました。癒された人は喜びで満ち溢れていました。周りにいる人も驚きながら神を賛美しました。しかし、宗教指導者たちの反応はどうでしょう。なぜそうなったと思いますか。
・10-11節/
・ヨハネ5:16 /
・ローマ12:15-16 /

8.神様に喜ばれる礼拝を捧げるために、気付かされた事があればわかちあってみましょう。

「命の実を刈り取ろう」
 私たちはイエス様の教えに従って周りの人を愛していきたいです。それがイエス様の願いだからです。安息日の主であるイエス様と同じ心で周りの人を愛していけるように祈りましょう。互いに支え合い、愛し合っていくこと、 それは聖霊の導きに従っていく時こそ可能です。

ミカ6:8

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