小グループで聖書を学ぶ
父があわれみ深いように(ルカ6:27〜36)


「心の門を開いて」
子どもは父親に似ています。神の子どもとされた私たちが父なる神様に似て行くのは自然な事です。イエス様は父なる神様に似ていく子どもの姿に関して教えています。成熟に向かって成長している私たちが肝に銘じるみことばは何であるのか、みことばを通して学んでみましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1.22〜23節に、イエス様のゆえに苦しみと迫害を受ける者は報いが大きいので、喜びなさいと記しています。イエス様は人々に何と言われましたか。それを聞いた人々の心境はどうだったと思いますか。
・27節 /

2.もし誰かが私を憎むなら、私もその人を憎むでしょう。しかしイエス様は「敵を愛し、憎む者たちに善を行いなさい」と命令しています。また、28節「呪う者たちを祝福し、侮辱する者たちのために祈りなさい」と言われました。さらに29、30節には何と書かれていますか、
・29〜30節 /

3.イエス様の教えは当時の一般的な教えと異なりました。私たちにとって不可能に感じられる無理な行いまで命令しているように聞こえます。イエス様がそのように言われる理由は何だったのでしょうか。一緒に考えてみましょう。
・マタイ5:43〜44 /
・ローマ12:19 /
・創世記26:20〜22 /

4.罪人でも自分に良くしてくれる人を愛します。イエス様は誰にでも善いことをしなさいと教えています。そうすれば受ける報いは多いと約束しています。イエス様の教えに従っていく時、私たちは神様の子どもになります。この命令はけっして私たちの理性や本性を考えると簡単ではありません。私たちが主の教えに従うために覚えることは何だと思いますか。
・32〜35ab節 /
・ローマ12:21 /

5.私たちは本来神の敵でした。自己中心で、神の教えを拒み続けた私たちを見て、イエス様は悲しんで心を痛めました。イエス様は恩知らずな悪人だった私たちのためにこの世に来られ、十字架で死なれました。イエス様の血潮によって神との関係が和解されました。私たちは何を受けましたか、その結果私たちの身分はどのように変わりましたか。
・35c節 /
・Tペテロ2:10 /

6.人は自分の考えと感情で、敵となったり手を握ったりします。主観的な基準によって味方と敵に分けやすい傾向は、聖書でもよく見られます。
 私たちはどうでしょうか。自分と考えが異なる人に対してどのように反応しているのか考えてみましょう。
・創世記27:41 /
・ルカ23:12 /

7.敵を愛する行いをマタイ5:48では完全と表現しています。完全な人は敵まで愛する人です。「完全」と訳されている単語はエペソ4:13では「成熟」と書かれています。まとめると敵を愛する者は「完全な人で、成熟した人」だと言えます。
私たちが今まで考えていた完全や成熟と比べてみましょう。
・マタイ5:48 /
・エペソ4:13 /

8. 私たちは神からあわれみを受けて救われました。そして今もあわれみを受けています。あわれみ深い神様のように、イエス様は私たちにもあわれみ深い人になりなさいと言われました。敵まで愛する事は神様から受けているあわれみが絶えないので可能だと考えられます。御言葉を信じる私たちにも可能なのです。それぞれ感じたことを分かち合ってみましょう。
・36節 /

「命の実を刈り取ろう」
私たちがイエス様の教えに従っていく時、成長し続け成熟していきます。成熟した者は敵まで愛するようになると学びました。父のようにあわれみ深い者になること、それは神様が敵であった私たちを死ぬまで愛し、今も愛し続けているあわれみ深さに気づく時こそスタートします。そして私たちの考えや感情ではなく、みことばを信頼し聖霊様により頼み続ける時こそ可能です。日々父なる神様にもっと似ていく者へと変えられるように共に祈りましょう。ルカ6:36。

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