小グループで聖書を学ぶ

泣かなくてもよい(ルカ7:11〜17)

「心の門を開いて」
私たちは人生の中で悲しみ、不安、絶望などを感じる時があります。泣いてしまうこともあります。神様は私のことをもうあまり見ておられないと思い込んでしまう時もあります。今日の箇所で、イエス様は悲しんでいたやもめに寄り添い悲しみを喜びへと変えて下さいます。その内容から学んでいきましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」
1. イエス様は、「弟子たちと大勢の群衆」も一緒に、ナインという町に行かれました。弟子たちは、イエス様に倣いイエス様に従う人です。御言葉に従う者が弟子ですが、群衆はどんな人でしょうか。
・11節 /
・マタイ21:9 /
・マルコ15:11,13 /

2. イエス様は町に入るときに、葬るために町から外に出て行く葬儀の行列に会いました。死んだ人は、やもめの息子である若い青年でした。当時「やもめになる」ことは罪のために下った「神の裁きのしるし」だと考えられていました。やもめはどんな生活をしていたのでしょうか。
・12節 /
・使徒6:1 /
・イザヤ54:4 /
・Tテモテ5:5 /

3. やもめは苦しい生活の中でも、一人息子を大事に育てられたと想像できます。しかし、その息子が死んだのです。精神的、社会的、経済的に行き詰まってしまいました。彼女の心境はどうだったと思いますか。


4. イエス様はこのやもめの絶望的な状況をすべて知っておられました。その彼女に会うために1日〜2日の道のりを歩いて来られました。悲しみで疲れ切って祈ることもできないやもめのために訪ねて行くイエス様の姿を見ながら、何を感じますか?今までの生活でそのようなイエス様を体験したことがあれば、分かち合ってみましょう。
・ヘブル4:15 /


5. イエス様は、このやもめが感じていた悲しみや不安や絶望を、まるで自分の身がよじれるかのような痛みで同情してくださったのです。そして「泣かなくてもよい」と強く言っています。その後、棺に触れられて担いでいた人たちの足を止めました。なぜそうしたでしょうか。
・13〜14節 /


6. イエス様は棺に触れられました。そして死んだ人に起きなさいと命令しました。周りの人々からは無駄な事をしているように見えたと思われますが、その後どうなりましたか。
・15節〜16節 /

7. やもめを通して、イエス様のみ言葉が一つの地域ではなく全体に広まりました。一人の人生の悩みや問題を解決して下さるだけではなく、それを通して神様は万事が益となるように働いてくださいます。私たちは自分の問題ばかりを考えて落ち込んでいることはありませんか。
・17節 /
・ローマ8:26〜28 /

8. やもめの悲しみはみことばによって喜びに変えられました。私たちもみことばにより、私たちのために働いて下さる神様を体験することが出来ます。イエス様は寄り添ってくださり、悲しみを喜びへと変えて下さいます。気づいた事があれば分かち合ってみましょう。


「命の実を刈り取ろう」
やもめを慰めて下さったのはイエス様でした。私たちの心を知っておられるイエス様は寄り添ってくださり、もう泣かなくてもよいと慰めてくださいます。そしてみ言葉で導いて下さいます。主が教えて下さる道へ従って行き、私たちのために働いておられる神様を体験する恵みを受けられるように共に祈りましょう。ローマ8:28。

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