小グループで聖書を学ぶ
何を見に行ったのですか(ルカ7:18〜35)

「心の門を開いて」
私たちは生きている中で人から批判される時があります。その時、自分の思いや考え方に捕われると、自分も相手を決め付け批判するようになります。そうなると信仰も弱くなり、神の御心を求めず、従わなくなってしまうこともあります。今日の箇所からどんな時でも主を見上げていく信仰について学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」
1.バプテスマのヨハネは直接イエス様に会う事が出来ず、イエス様がなさった事を自分の弟子たちを通して、報告を聞いていました。歴史家であるヨセフスによると、ヨハネは、死海の東の方にマケルスという名前の城に閉じ込められていたそうです。なぜ、ヨハネは牢にいたのでしょうか。
・18節 /
・ルカ3:19〜20 /

2.ヨハネは荒野を自由に動き回っていましたので、城の中の牢屋に閉じ込められている生活は、肉体的にも精神的にも非常に厳しく、大きな苦痛となっていました。ヨハネはイエス様に「おいでになるはずの方は、あなたですか。」と質問します。ヨハネが期待したイエス様の姿は何だと考えられますか。
・19節 /
・ルカ3:16〜17 /

3.ヨハネはイエス様が救い主であると信じ、人々に伝えていました。しかし、苦しい生活の中にいると信仰が弱くなり、疑いが生じ始めました。救い主とはどういう方なのか,神様についてよく考えている証拠とも言えます。私たちも苦しい生活によって信仰が弱くなる事はないでしょうか。
・ルカ3:22 /
・ヨハネ3:30 /
 
4.イエス様は「はい、わたしが来るべきその者です」と単純に答えません。その代わりに、弟子たちが見聞きしたことをすべてヨハネに話すように言われました。イエス様は自分は誰だと教えていますか。
・20〜22節 /
・イザヤ35:5〜6;61:1 /

5.群衆が荒野に出て行ったのはバプテスマのヨハネを見るためでした。イエス様はヨハネを預言者よりもすぐれた者だと紹介しました。その理由は何でしょうか。
・27節 /

6.ヨハネは全生涯にわたって神様に用いられた人でした。彼は女から生まれた者の中で、一番偉大な人でした。しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大ですと教えています。今の時代の私たちクリスチャンがヨハネよりもすぐれていると言われています。なぜでしょうか。
・28節 /

7.罪人と呼ばれていた取税人たちは、ヨハネの教えを聞いて、バプテスマを受け、神の正しさを表しました。しかし、律法を守るように教えていた宗教指導者たちは、バプテスマを受け入れませんでした。なぜ拒んだのでしょうか。
・29〜30節 /
・ルカ3:3 /

8.子どもたちは市場に集まって遊びをしていました。笛を吹くと他の人々は踊り出します。また、弔いの歌を歌うと人々は泣き出しました。人々はこの世と調子と合わせないヨハネとイエス様をどう評価していますか。
・33〜34節 /
・ルカ3:3 /

9.宗教指導者たちは自分たちの伝統を守らないイエスはメシアではないと思い込んでいました。神様の御心より人の思いや伝統を重視して、イエス様までも批判してしまいました。私たちは御言葉に従うため神様の御心を正しく知る必要があります。聖書はその生き方こそが正しいと証明しています。知恵は何を指していますか。
・35節 /
・Tコリント2:13 /

「命の実を刈り取ろう」
御言葉に従っていても、苦しい時があります。また、人々に歓迎されない時もあります。しかし、その中でも神の御心を知り信頼して歩むことで、神は私たちの生き方が正しいと証明して下さいます。苦しみや迫害の中でも、自分の考えと思いにとらわれる事なく、共にいてくださるイエス様を見上げて歩んでいきたいです。これからも主の教えに従う者として歩んでいく者であることを願います。
ルカ7:23

戻る