小グループで聖書を学ぶ
あなたの罪は赦されている(ルカ7:36〜50)

「心の門を開いて」
愛は人に力を与え、立ち上がらせます。今日の箇所は罪深い女がイエス様の変わらない愛によって、変えられ、疲れた心に安らぎを得た話です。イエス様の愛について学んでいきましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」
1. 一人の罪深い女がパリサイ人の家に入ってきました。きよい生活を目指していたパリサイ人の家に彼女が入った事は,散々な批判を浴びる事は間違いないことでした。それにも関わらず、彼女はイエス様のもとに来たのです。なぜ彼女は罪深い女だと呼ばれていたと思われますか。
・37節 /

2. 香油の入った石膏の壺を持った彼女はイエス様の足もとに近寄り、まず、泣き出しました。なぜ泣いたのでしょうか。彼女の心境を考えてみましょう。
・38節 /

3. 彼女は継続して足に口づけしていました。当時の文化を考えるとイエス様に対する尊敬と感謝の心がわかります。高価な香油を足に塗ったのも、愛する心と謙遜な姿を現します。彼女の姿を見てあなたはどう思いますか。
 
4. 残念ながら、指導者であるパリサイ人は女の心には関心を持っていません。泣いている彼女の心を知ろうともせず、罪の生活から助け出そうともしませんでした。ただ、罪深い女だと指摘して、関わりたくないと思うだけでした。パリサイ人は、正直、人に関心を持っていません。彼には哀れみと愛する心はなく、自分の判断で人を指摘し、イエス様にも間違っていると批判しています。なぜ彼はそうなったと思いますか。私たちにそのような所はないのか考えてみましょう。
・39節 /
・ルカ11:37,38;14:1/

5. イエス様が弟子達に話しかけました。二人の人が金貸しから金を借りていたが、その借金を帳消しにしてもらいました。条件つきではなく、ただ帳消しにして貰ったのです。二人とも恵みを受けましたが、どちらが、金貸しをより多くを愛するようになったのでしょうか。借金とは、私たちの罪に当たります。
・41〜43節 /

6. 高価な香油を塗った彼女はイエス様に対する感謝と愛が溢れていました。一方、パリサイ人はイエス様を家に招きましたが、基本的にすべきもてなしを行っていませんでした。イエス様をあまり愛していないとも言えます。それを見てあなたはどう思いますか。
・44〜46節 /
・Tサムエル25:41 /

7. 神の愛を頂き罪が赦されたので、私たちも愛することができます。「この人が多くの罪が赦された事は、私に示した愛の大きさで分かる」(新共同訳47節)。イエス様は神を愛する女に安心しなさい、神の平安があなたのものですと言われました。この安心という単語はヘブル語ではシャーロームです。この平安、安心はどんな人に与えられるのでしょうか。
・50節 /
・イザヤ26:3〜4 /

8. コリント人への手紙では教会を何と説明していますか。イエス様を信じ、救われた者が喜びと感謝をもって日々歩んでいれば、また、多くの罪が赦されて、多く愛する者であれば、教会全体も愛の共同体になります。神を愛し、人を愛する教会になります。あなたはどうでしょうか。
・Tコリント1:2 /

9. 女の人は罪が赦され、救われたことを覚えていました。それで、最善を尽くしてイエス様のために何かを捧げたいという心でイエス様の教えに従って行こうとしました。同じく、救われたあなたはこれからどのように歩んでいきますか。
・47節 /

「命の実を刈り取ろう」
イエス様は罪深い人でも変わらない愛で、 愛してくださいました。私たちも同じです。イエス様は同じく私たちも愛してくださいます。
救われた恵みに感謝して、日々喜びで過ごしているのであれば,感謝と喜びがあるあきる台バイブルチャーチになるでしょう。そして、これからも神と人を愛して、歩んでいく者であることを願います。互いの決心を分かち合いましょう。
1ヨハネ4:19

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