小グループで聖書を学ぶ
一人の救い(ルカ8:26〜39)

「心の門を開いて」
イエス様はゲラサ人に出会い、悪霊を追い出しました。悪霊に取りつかれた人は癒され、救われました。今日の箇所を通してイエス様が一人の救いについて弟子たちに教えておられます。その姿から励ましを受けたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」
1.イエス様と弟子たちはガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着きました。そこで悪霊につかれている男に会いました。彼はどんな生活をしていましたか。
・27節 /
・マルコ5:3〜5 /

2.イエス様は一人を大切にしておられました。人々からはコントロールができなくて、鎖で縛っておいた一人のために、イエス様は来られました。多くの人を後ろにして、神の愛が必要な一人のために行かれた、イエス様の姿に何を感じますか。
・ルカ8:19、40 /

3.悪霊はイエス様について、正しく「神の子」と呼んでいます。しかし「私とあなたは何の関係もありません」と言い、自分の考えに従って生きようとしています。その生き方は聖書はなんと教えていますか。私たちも「聖書はそういっても、実際は無理でしょう」と言い訳をしながら、自分の都合や、自分の思いのままに生きる事はありませんか。
・28節 /
・ヘブル11:25 /

4.悪霊につかれていた男は、イエス様に出会い、救われました。町の人々は、悪霊に対するイエス様の明らかな力の存在を確かめたのです。全知全能であられるイエス様が共にいる事ですが、彼らはイエス様が村から出て行ってほしいと願いました。なぜ離れる事を願ったのでしょうか。それについてあなたはどう思いますか。
・32〜34、37節 /
・マルコ5:13 /

5.町の人々は、イエス様がもたらす神の恵みには目を閉ざし、失われるもののみに心が奪われました。彼らは聖霊の導きを求めず、神がなさる事を拒んだので、これ以上イエス様は働かなかったのです。神様の働きによって私たちはどうなりますか。今、神様の働きを求める事で妨げになっている事はありますか。
・ヨハネ10:10 /

6.悪霊はいくら力があっても、イエス様の権威の下にいます。悪霊につかれた人は裸であったが、今は服を着て、イエス様の足もとに座っています。イエス様に服従し、弟子であることを示しています。イエス様と一緒に生きる人生が始まったのです。なぜイエス様はこの人に注目したのでしょうか。
・35〜36節 /

7.救われた男はイエス様にお供にしたいとしきりに願いました。それは、イエス様の弟子になって12使徒のように、イエス様のそばで歩みたいという願いです。しかし、イエス様は彼を帰されました。なぜでしょうか。
・38〜39節 /
・マルコ5:20 /

8.イエス様に出会って、救われて、癒された者は、新しく造り変えられた者です。古い人は過ぎ去って、新しい人になります。そして、残りの人生をイエス・キリストを証しする生活を送るようになります。彼は、家族どころか、デカポリスの地方全体に証ししました。私たちもそれぞれの場所に派遣された者です。家庭や職場に、あらゆるところに、救われた恵みを宣べ伝え、周りの人に仕える役割が与えられています。イエス様は私たちにも福音がなければ希望がない、ある一人のために「湖の向こう岸に渡ろうと」語っておられます。私にとってある一人は誰だと思いますか。
・22節 /

「命の実を刈り取ろう」
イエス様は時間とお金を使って一人のために力を注いで下さいました。弟子たちも一人を大事にする心が必要です。福音は人を変えてくださいます。一人が救われて、変えられることによって周りが変わっていきます。イエス様は私をありのままに愛し、私の心がイエス様の心で満たされて、一人にイエス様の愛を伝えるように教えておられます。聖霊様は共に働いてくださいます。イエス様の愛を周りの人に伝えましょう。人は変わります。これからも一人を愛し、仕えていけるようにこころを合わせて一緒に祈って行きましょう。
ルカ15:7

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