小グループで聖書を学ぶ                                   

3 荒野での試み(マルコ1:12〜13)

「心の門を開いて」
 
 新たに決心して事を起こそうとする時に何かが起こってストップしてしまうことを、魔が入ると言います。したいと思わないことをうっかりしてしまう時、魔が差すと言います。魔の手や伏魔殿という言葉もあります。こうした言葉が日常的に用いられるくらい、まさに悪魔の試みがあるということです。どう受け止め、どう対処したらいいのか、聖書から学びましょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 サタンは、敵対者、騙す者、偽り者、空中の権威を持つ者などと呼ばれています。ペイラゾーという原語が、誘惑する、試みると訳されています。日常的にサタンの試みを受ける私たちのために、イエス様はサタンの試みを受けられました。イエス様は、どこで誘惑を受けられましたか。どういう状態でしたか。
・12〜13節/
・マタイ4:1〜2/

2 荒野で四十日断食をしていて、極限状態でサタンの誘惑を受けられました。荒野での誘惑は、「そして、すぐに」(12節)つまり、洗礼を受けてすぐに受けられました。救い主としての働きを始めようとする時ということが強調されています。恵みの後に試みがあり、勝利の後に苦難があり、信仰で歩もうとする時、何か決意して始めようとする時、問題が起こります。そのような体験がありますか。
・Tコリント10:12/


3 最初の人アダムは、何の不足もないエデンの園でサタンの誘惑を受けて、倒れましたが、第2のアダムと言われるイエス様は、荒野で極限状態の中で悪魔に勝利する道を備えてくださいました。人は、何かあると、環境や状況のせいにしますが、イエス様が荒野で試みを受けられたことは、何を教えていると思いますか。
・Tコリント10:13/
・ヘブル4:15 /

4 私たちの世での戦いは、問題や人々に対するものでなく、悪魔との戦いであると教えられています。ですから、私たちは、サタンの誘惑にどう対処したらよいのか、学ばなければなりません。この時、サタンは、具体的にどんな問題をもってイエス様を誘惑したのですか。イエス様は、どのように対処して勝利されたのでしょうか。
・エペソ6:12/
・マタイ4:3~4/

5 人は誰でも、現実に弱く、物質に弱く、肉体的には弱いのです。イエス様をよく信じている人も、現実問題で揺れ動きます。あなたは、どんなことで揺さぶられましたか。
・マタイ6:31,34/


6 2番目の誘惑は何ですか。イエス様は、何と答えられましたか。この誘惑の問題点はどこにありますか。
・マタイ4:5〜7/
・ヘブル3:12,ローマ4:20/

7 主を試みるというのは、神への深刻な不信です。サタンの狙いは、不信を植え付け、神様との間に溝を作り、聖徒たちを主から引き離すことです。願いどおりならないと不信を抱き、少し難しいからと御言葉の約束を疑うことはありませんか。サタンは、夫と妻の間に、親子、また、身近な者たちの間に不信を植え付けます。そのような試みを受けたことがありますか。



8 3番目には、この世の権力と栄誉を得たいのならば、サタンに従えと誘惑します。その誘惑の特徴は、簡単に何かを得ようとする人間の本性を利用します。人間の本性は、自分本位に生きようとすることです。簡単に良い成績を取れないか、簡単に良い仕事ができないか、簡単にお金を得ることはできないかと考えるのです。十字架を抜きに復活の栄光はありません。あなたは、どんなことでこの試みに会いましたか。
・マタイ4:8〜9/


9 私たちが生きていくこの世は、まさに荒野のような所です。ここで私たちは、神の子としての訓練と試みと逆境を経験します。しかし、その荒野は、同時に希望の所です。そこにおいて、私たちは神に会うことができるからです。そのような場で、神と親しく交わることができ、そこで福音を聞くことができるのです。それは、イエス様がこれらの試みを既に受けたからなのですが、どういうことですか。
・ヘブル4:15 ,2:18 /

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが、サタンとの戦いに勝つことができる唯一の道は何でしょう。イエス様が戦われたその方法で戦うことです。イエス様は、御言葉でもってサタンの誘惑を退けられました。マタイ4:4,7,10では、「と書いてある」あります。ですから、私たちも、御言葉をもって徹底的に主に従うことで、サタンに打ち勝つことができます。今日の学びで気付かされたこと、悔い改めたこと、決心したことなど分かち合いましょう。

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