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4 時が満ち、神の国は近くなった(マルコ1:14〜15)

「心の門を開いて」

 神の国、天の御国と言えば、死んでから行ける所と思っているでしょう。ところが、イエス様は、この世に神の国が始まるようにしてくださいました。では、どのように神の国を始めてくださったのでしょうか。どうすれば、地上の生活の中で神の国に入れるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様の公生涯の開始は、いつ、どこで、どんなことをされましたか。
・14節/


2 旧約時代最後の預言者とも言われていたヨハネの後、イエス様による新約時代が始まりました。イエス様は、異邦人のガリラヤと呼ばれて疎外され、苦しみと闇があった所、戦いと争いが起きていた所のような罪の只中にある人々の心に来てくださいました。福音とは、イエス様の十字架の死を通して、信じる者に罪の赦しと天国への命が与えられるという良き知らせです。福音を聞いた者は、どうしなければならないですか。
・黙示録3:20/
・使徒2:38/

3 イエス様の福音は、「時が満ち、神の国は近くなった」という宣言でした。天国は、生きている間には決して行くことができないのではないか、と考えるでしょう。私たちに抜けているものの一つが、神の国の概念です。神の国はどんな国ですか。特徴は何ですか。
・15節前半/
・マタイ12:28,マタイ6:10

4 神の国の「国」、バシレイアとは、領土のことではなく、統治のことを意味しています。国が形成されるには、三つの要件、土地、民、主権がありますが、最も重要なのは、主権です。神の国が近くなったということは、神の統治権を宣言したものです。救われる以前のあなたを誰が統治していましたか。今のあなたの主権者は誰ですか。
・エペソ2:2,19/


5 人が罪に堕落して以来、今までの世界は、サタンの支配するところとなりました。それによって、世は、敵意、争い、妬み、憤り、党派心、不品行、偶像礼拝、酩酊、遊興の場となっています。その悲惨の中で、人の心は乱れ、傷付き、葛藤し、平安がありません。しかし、イエス・キリストを信じたことは、神の主権を認めて、受け入れることになります。イエス様の十字架の救いを信じた私たちは、神の国に住んでいるのでしょうか。あなたは、神の主権、神の統治を受け入れておられますか。あなたの家庭、学校、職場、そして教会ではどうですか。
・ガラテヤ5:19〜21,22〜24/


6 自分が主権を握っているなら、実はサタンの支配が続いています。罪と肉の思いが中心になります。神の国が私たちに臨むためには、私たちはどうしなければならないのでしょうか。
・15節後半/


7 神様は、人類の罪の問題を解決するために御子を世に送られ、十字架の死に渡されました。神様に背を向けて自分勝手に歩んで、肉の思いのまま生きて、多くの罪を犯して来たことを知ったら、悔い改めざるを得ません。イエス様を信じているとしながらも、その生活と考えに変化がないことを悔い改める必要があります。自分には、どんな悔い改めが必要だと思いましたか。
・詩篇51:17/
・ルカ3:8,5:32/

8 悔い改めた聖徒は、必ず変わります。悔い改める思いが起こったら、躊躇しないでください。人生での大きな変化の祝福を受けられるでしょう。教会のリバイバルや聖徒の信仰覚醒は、悔い改めから始まります。しかし、悔い改めには、痛みが伴います。肉のプライドが傷付いて、古い自分を壊す痛みも伴います。自分の人生のスタイルを変えなければならない痛みもあります。そのようなことがありませんでしたか。
・マタイ5:30/


9 悔い改め、メタノエオーとは、自分の思いや考えを変えるという意味です。悔い改めとは、進む方向や人生の目的、価値観を変えることです。罪を悲しみ、涙するだけでなく、考えと行動の大きな転換をもたらします。悔い改めて、大きく変化した経験があれば、お分かち合いください。


「命の実を刈り取ろう」

 神の国は、死んだ後に行くことになる死後の世界はありません。神の統治が聖徒たちの生活の中で現れ、喜んで神の統治に従う、そこが神の国です。すでに私たちの中に臨んだその神の国を人生の現場の中で体験することができるように祈ります。地上の教会は、神が治める神の国の始まりです。神の国の民として共に楽しみ、悲しむ信仰共同体となり、神の国の前味を味わる教会となりますように願います。今日の箇所を通して悔い改めたこと、考えが変えられたことなどを分かち合いましょう。ルカ17:21。

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