小グループで聖書を学ぶ
8 主の前にリトリート (マルコ1:35〜39)

「心の門を開いて」

 「充電期間です」という言葉を耳にすることがあります。心身のために休暇を取ったり、新たな働きのために準備したりする時に言うようです。忙しい現代人は、スマホなどの電子機器では充電をまめにしているでしょうが、たましいのための充電は、どうしているのでしょうか。イエス様の姿を通して、心の充電について学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様の一日を振り返ってみましょう。イエス様は、前日どのようなことをされましたか。私たちが、そのように過ごしたとすれば、どんな状態になると思いますか。
・21〜34節/


2 悪霊を追い出したり、病気を癒したりして一日活動し続けたというのですから、体は極度に疲労し、精神の消耗は甚大であったでしょう。私たちも、仕事や問題で体が疲れ果て、心がぼろぼろになる時があるでしょう。そんな時、どうしますか。イエス様は、どうされましたか。強調点は、どこにありますか。
・35節/
・ルカ5:16/

3 イエス様の公生涯は、前進の人生でした。福音のためにすべてを注ぎ尽す働きでした。そのために、しばし退いて、神様と交わりを持っていたのです。これが、心のリフレッシュとなり、たましいの癒しとなります。このことをリトリート(退く)と言います。疲れたり、忙しかったりすると、否定や批判、怒りや恨み、妬みや文句、失望や不安でいっぱいになるでしょう。燃え尽きてしまうと、心が沈み込んでしまうでしょう。あなたが思い出す経験は、どんなことですか。



4 主の前に出て、自分の状態と問題を祈るなら、自分を省みさせられ、心癒され、整えられます。私たちにとって、日々のデボーションや毎週のセルや礼拝が、主の前にリトリートとなります。退いて、祈られた後、イエス様はどう変わりましたか。
・38〜39節/


5 「他の所にも福音を知らせよう」と弟子たちに呼びかけました。そして、ガリラヤ全地にわたって、福音を告げ知らせ、病気を癒され、悪霊を追い出されました。このような力と情熱は、どうしたのでしょうか。どこから出て来たのでしょうか。神様の御前に退き、祈り求めるならば、どのようにしてもらえますか。何と約束されていますか。
・イザヤ40:29,31/
・エレミヤ29:11, 33:3/

6 現代社会は、あまりにも忙しい社会です。仕事や子育て、勉強や趣味のことで忙しいでしょう。気持ちだけでも忙しいです。イエス様は、この時あまりにも忙しいので、神様の御前に退いて祈りました。忙しく活動して疲れた心を神様に癒してもらわなければ、燃え尽きてしまうからです。神様が与えてくださる力や導きなくては、一日でさえも過ごせないことをよくご存知だったからです。イエス様の姿を知って、どう思いますか。



7 癒され整えられるリトリートは、充電ということができます。イエス様ご自身は、よく荒野に退いて祈っておられました。信仰の人々も、失敗や困難の中で荒野に退き、神様と交わりを持ち、後の働きのための整えを受けました。モーセとパウロの充電の例を読んで、どんなことが自分の参考になりますか。
・出エジプト2:10,15,3:10/
・使徒9:28〜29, ガラテヤ1:17〜18/

8 現代社会でも、充電によって、体調の悪化を止め、難しい人間から距離を置き、気持ちがリフレッシュします。モチベーションや気力が出て来て、スキルに磨きをかけ、仕事や家事の方法を見直すことなどができると言われています。マラソンの高橋尚子さんの「魂の充電期間」の引用を読んで、感じるところを分かち合いましょう。(参考/詩篇30:5)
(人生は、上がったり下がったりすることも、進んだり停滞することもある。時はすぎていくのに、まるで自分だけが立ち止まってしまったようで取り残されたように感じるとき。生産的なことが何一つできていないように感じるとき。そんなときはきっと人生の充電期間。
自然界でもずっと春や夏が続くわけではない。秋も冬もある。だけど、秋の間も冬の間も一度枯れてしまっても、植物は何もしていないわけではなくてちゃんと生きていて、次に花咲く準備をしている。だから、今はただただしっかりと地に根を張る時期だと思って、今できることをやって過ごそう。自分にたっぷりの栄養をあげよう。しっかりと地に根を張った木は、きっときれいな花を咲かせるから。時が来るのを待とう。生きている限り、ずっと冬なんてありえない。必ず春は来るから。
「 何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。 やがて大きな花が咲く 」)

「命の実を刈り取ろう」

 生活に困難や問題がありますか。私の人生は荒野のようだと思っていますか。それは、神様が私を整えるためのリトリート、主の前に退かせて、しばらく充電させておられる時とみなすことができます。挫折して、後退したかのように見えても、主の前に退くなら、それは、霊的な充電となります。神様は、私たちを御前に退かせて養い、充電して整えてくださり、豊かに祝福して用いてくださいます。今日の学びで自分の適用となったことを分かち合いましょう。 

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