小グループで聖書を学ぶ
2 新たに生まれて(マルコ1:9〜11)

「心の門を開いて」

 私たちには、誕生日が2つあります。世に生まれ出た誕生日とイエス様を信じて新たに生まれた誕生日です。はじめの誕生日は覚えて、祝うのに、意識して決断して迎えた誕生日の方は、どうしているのでしょうか。今日は、私たちが新しく誕生した記念、洗礼について顧みましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様の働きは、洗礼を受けることから始まりました。イエス様は、私たちのために私たちの罪をその身に負って十字架にかかられたように、私たちのために罪の赦しのしるしである洗礼も受けられました。洗礼は、イエス様を救い主として信じた者が受ける儀式ですが、洗礼に込められた意味は、何ですか。
・9節/
・ローマ6:3〜4/

2 洗礼は、古い罪の人が十字架と共に死んだと同時に、イエス様と共に生きる新しい出発をあらわしています。神様に喜ばれる人生を生きて行くという決断と願いを示すのが洗礼です。ここには、イエス様がガリラヤのナザレから来られて、バプテスマをお受けになったと記されています。「ガリラヤのナザレ」とは、どんなところでしょう。何を意味しているのでしょう。
・イザヤ9:1〜2/
・ヨハネ1:46/

3 異邦人のガリラヤと呼ばれ、はずかしめを受けた地であり、苦しみと闇があった所だと言われていました。異なる民族が貿易をするために通過する地域であったので、戦いと争いが頻繁に起きた所です。人々は互いに憎み、争い、彼らには妬みと中傷がありました。洗礼を受けるというのは、それぞれのガリラヤのナザレから出て来ることを意味しています。あなたにとってのガリラヤのナザレはどこですか。どんなところでしたか。



4 新たに生まれたことだけに満足するならば、信仰の年数が増えていくだけの霊的子供に留まるでしょう。新たに生まれたならば、後は成長することが必要です。新たに生まれたにもかかわらず、怒りや妬みの習慣、自分中心の価値観、肉の思いや憎しみを持ち続けるのであれば、古い人の生活を続けることになります。新しい命と価値観に生きなければ、救いの恵みを享受することはできません。あなたは、どうでしょうか。

5 私たちの霊的成長や造り変えは、私たちの努力によるのでありません。新たに生まれて、霊的成長することは、御言葉の約束です。イエス様が洗礼を受けられた時、何が起こっていますか。私たちが信じて洗礼を受けた時、何が与えられていますか。
・10節/
・ヨハネ14:16〜17 /

6 信じて救われた私たちにも、聖霊が臨まれ、御霊がその人のうちに住んでおられます。私たちが信仰で生きる働きは、自分の力でするのではなく、神様が供給して与えてくださる聖霊の力によります。聖霊と訳されたパラクレートスは、助け主という意味です。職場や家庭での働きにおいても、御霊が私たちを助けてくださいます。聖霊が自分の中で働くようになるには、どうしなければなりませんか。
・エペソ5:18/


7 信じて救われて、新たにされた私たちは、存在そのものが変わりました。イエス様が洗礼を受け、聖霊が降られた時、何が起こりましたか。洗礼を受けた私たちは、何と言われていますか。
・11節/
・ガラテヤ3:26/

8 人は、どのようなアイデンティティー(自我像)を持つかによって、その生き方、考え方と行動が変わります。自我像の変化は行動を変え、人生自体を変化させます。自我像は、まず心に影響を与え、心構えは言動に影響を与え、繰り返される言動が習慣を作り、最終的に人生が決定されます。否定的な自我像は、幸いに生きることを困難にします。あなたは、どんな自我像を持っていましたか。



9 イエス様の洗礼は、イエス様が神の御子であられ救い主メシヤ、キリストであるというアイデンティティーが明らかになった時です。主は、私自身に向かっても、愛する子、愛する娘と言ってくださいます。何と言う恵み、祝福でしょうか。ここに私たちのアイデンティティー(自我像)があります。アイデンティティーを根本的に新たに持つようになったクリスチャンは、どのように変わることができますか。
・Uコリント5:17,コロサイ3:10/

「命の実を刈り取ろう」

 クリスチャンは、洗礼によって昔の人を捨て、新しい人を着た人です。洗礼によってキリストにあって新しく造られた人です。ですから、イエス様を信じて救われた人は、自分の真の姿を新たに発見できます。過去の否定的な自我像を脱ぐことができます。新しく生まれた者です。新しい人として生きましょう。今日の学びを通して受けた導きを分かち合いましょう。

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