小グループで聖書を学ぶ
36 永遠のいのちを得るには(マルコ10:17〜27)

「心の門を開いて」

 歴史上の権力者をはじめ、人は不老長寿を願い、永遠の命を求めます。しかし、年を取らない人はいません。死なない人もいません。しかし、聖書には「永遠のいのち」が語られています。どういうものでしょうか。どうしたら得られるのでしょうか。聖書の登場人物を通して学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 聖書の言う「永遠のいのち」とは、イエス様を信じて罪赦され、救われて天国へ入ることを言います。ひとりの人がイエス様のもとに来て、「永遠のいのちを得るには、何をしたらよいでしょうか」と尋ねました。「走り寄って」来たというところに、イエス様を探し求めて来たというこの人の思いがあらわれています。どんな人なのでしょうか。
・17節/
・マタイ19:20,ルカ18:18/

2 金持ちで社会的地位があり、若さにもあふれていて、申し分ないように見えます。彼の心には、喜びと平安がありません。永遠のいのちがない人生に満足がありませんでした。永遠のいのちを得るにはどうすればというところに、彼の間違った信仰観があらわれています。永遠のいのちも努力や行為によって得られると思っていたようです。聖書の教える信仰は、どのようなものですか。
・エペソ2:4〜8/


3 救いは、人の力によるのではなく、神様の一方的なあわれみと恵みによる、慈愛と賜物だと聖書は教えています。神の恵みで永遠のいのちが与えられ、救われるのです。この富める青年と同じように、まじめな現代人も、自分の努力で道徳を守ったら救われる、善行を積んだら天国へ行けると考えます。しかし、救いは得られず、努力して何かを得ても、充足することはありません。空しさは残ります。救いはどのようにして得られるのですか。
・ローマ10:9/
・ヨハネ3:15〜16, 27節/

4 イエス様は、この青年の信仰観の間違いを悟らせるために、十戒の後半を取り上げました。すぐに反応して、この人は得意げに答えています。この人の言うのは、本当ですか。十戒の後半をイエス様がまとめていることを参照して考えてみてください。
・19〜20節/
・ルカ10:26〜28/

5 この青年は、確かに、殺人はしなかった、姦淫をしたこともない、盗んだこともなく、他人を騙したこともなかったのでしょう。しかし、「何々をしない」ということは守っても、隣人を自分自身のように愛してはいなかったのです。結局、彼は、自分の内の何に気付いていなかったのですか。
・ヨハネ8:7〜9/
・ローマ7:7/

6 永遠のいのち、天の御国、救いを熱心に求めていながら、イエス様の勧めにどう反応したのですか。聖書は、富と永遠のいのちについて、何と教えていますか。
・21〜22節/
・ルカ12:20,マタイ13:44/

7 この富める青年は、世の宝より永遠のいのちを大切にすることを考えませんでした。イエス様は、この人が去った後なのに、金持ちが神の国に入るのは難しいと繰り返し言われました。なぜですか。その時の弟子たちは、どうして驚いているのですか。
・23〜26節/
・マタイ20:20〜21/

8 この人や金持ちを他人事と考えることはできません。金銭を偶像視して、救いを求めなくなってしまう危険が多いと言われたのです。人は、地位や評価を頼りにして、健康や若さを頼みとします。それらも偶像になります。既得権を放棄することは容易ではありません。何かイエス様以外のものを偶像のようにしていることはないでしょうか。



9 有名なウェスレー牧師は、「神は、将来私たちに、世でどのような地位にあったかとは尋ねないで、その場でどのように生きたかを尋ねる。どのように財産を集めたかと問わず、それをどのように用いたかを問われる。どれほど知識を得たかを聞かずに、その知識で世にどんな益を与えたかを聞くだろう」という言葉を残しました。これを読んで、感じることを思うことを分かち合いましょう。


「命の実を刈り取ろう」

 せっかく救いを求めて来た者を厳しい言葉で追い返したという印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、イエス様は、「彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた」のです。21節。「いつくしんで」とは、アガペーの動詞、「愛する」です。イエス様は、この人のためにも十字架にかかってくださったのです。イエス様は、この人を大切に思い、愛してくださいました。あなたのためにイエス様は世に来られ、あなたの身代わりに十字架で苦しみ死なれました。これほどまでにあなたを愛してくださるイエス様に対して、あなたはどう応えますか。

戻る