小グループで聖書を学ぶ

47 切実な願い、切実に祈る(マルコ10:46〜52)

「心の門を開いて」

 人生は、多事多難、様々な問題や患難に出会います。逆境に会えば、絶望を経験します。しかし、逆境の中で希望をつかみ、勝利する話も聞きます。厳しい状況でも、希望を失わなければ、困難を克服する時が来ます。そのような例を聖書の登場人物から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人は、多くの問題を持って人生を生きていきます。その問題のために悲しんで、悩んで、苦しんで、絶望します。しかし、それらの問題が、私たちに人生を考えさせてくれるきっかけにもなります。エリコという町に住んでいたバルテマイという人は、どんな人でしたか。イエス様が彼の町に来た時、彼は何をしましたか。なぜ、そのようにしたのですか。
・46〜47節/
・ルカ7:21/

2 ダビデの子とは、メシヤ、救い主の別な言い方です。イエス様を救い主だと信じていたということです。彼は、イエス様こそ自分の人生の問題を解決してくださり、逆境から救い出してくださるお方だという望みを持っていたのです。イエス様に会いたいと切実に願い、叫びました。ところが、何がおこりましたか。彼は、どう反応しましたか。
・48節/


3 群衆が自分を黙らせようとしても、ますます大声で叫びました。イエス様が通り過ぎてしまったら、せっかくの機会を失いますから、切実に願ったのです。彼がどんなに大きな切実な願いを持っていたとしても、「私をあわれんでください」と叫ばなかったら、機会はなくなったでしょう。このことで、あなたの思うことは何ですか。祈りについて、どうすべきだと思いましたか。
・ヘブル10:35〜36/
・イザヤ55:6/

4 私たちは、祈らなければなりません。いくら問題を抱え、危機に瀕していても、主に祈らなければ、主に叫ばなければ意味がありません。バルテマイが必死にイエス様に叫んだ結果、どんなことが起こりましたか。それに対する彼の反応はどうですか。
・49〜50節/

5 バルテマイは、イエス様に呼ばれて、喜び急いでイエス様のところに来ました。その時、彼に対して、イエス様はどんな質問されましたか。彼は、何と答えましたか。あなたは、イエス様からそのように聞かれたら、何と答えますか。
・51節/


6 彼の切実な願いに対して、イエス様は彼を癒してくださいました。この癒しの奇跡を通してイエス様が私たちに強調された重要なことは、何ですか。
・52節/
・マルコ5:34/

7 奇跡が現れるためには、信仰が必要です。信仰は、神の恵みを受け入れる器のようなものです。信仰がなければ、恵みを受けることができません。バルテマイの信仰とはどんな信仰だったのでしょうか。まず、一所懸命叫んで、イエス様を呼び求めたのは、どんな信仰をあらわしているのですか。そのことで、あなたが気づくことは何ですか。
・47節/
・エペソ5:16, コロサイ4:5/

8 持っているものの可能性を最大に用いる信仰の人でした。確かに彼は、目が見えないけれども口でイエス様に叫び、足で立ってイエス様の所に行きました。ないもので失望するよりも、あるもので可能性を考えるのが信仰です。人は、何々がないから無理、できないと考えますが、あなたはどうですか。あなたは何を用いますか。
・Tコリント10:31/


9 妨害されても諦めない信仰がありました。彼がイエス様に叫び求めた時、人々は彼を叱って黙らせようとしました。恵みをとらえようとする時、妨害が起こるものです。サタンが妬むからです。私たちも、信仰で事を行おうとする時、妨害を経験します。その時どうしましたか。悲観したり、がっかりしましたか。諦めないで、信仰で取組みましたか。
・ルカ18:5〜8/

「命の実を刈り取ろう」

 バルテマイには、決断して、行動する信仰がありました。彼はイエス様に呼ばれた時、すぐに立ち上がって、上着を脱ぎ捨ててイエス様のところに行きました。癒された後、イエス様に従って生きる信仰者になりました。私たちは、切実に願い、切実に祈って人生が変わったバルテマイの信仰をきょう学びました。私たちは、信仰を深く省みなければなりません。信仰で祈らなければなりません。信じて祈るところに神様の恵みがあらわれます。私たちにも、イエス様が「何をしてほしいのか」と問われます。信仰を持って切実に願ってほしいからです。切実に祈りましょう。信仰を持って行動しましょう。今日の学びで気づかされた信仰や祈り、導かれた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。

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