小グループで聖書を学ぶ
51 主の権威の下で生きる(マルコ11:27〜33)

「心の門を開いて」

 社会では質問力というものが取りざたされています。従来、説明会や講義の後、質問の時間を設けても、あまり質問されませんでしたが、今は、学校や会社でも質問が重視されて来ています。質問と言っても、普通に尋ねる質問のほかに、共感の質問、守りや育てる質問、批判や意見などの質問があります。今日の箇所にも質問ではない質問が登場します。それを通して、真実な信仰について教えてくださっています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様がエルサレムに来て、宮の中を歩いておられると、人々がやって来て、質問をしました。どんな質問ですか。この人たちは、ユダヤ人社会のどんな人たちですか。
・27〜28節/


2 この質問は、本当に何かを教えてほしいための質問ではありません。真剣に聞こうとするならば、どこか静かな所に案内して、そこで聞くでしょう。何を企んでいたのですか。なぜ、彼らはそんなことを企んだと思いますか。
・マタイ26:65〜66/
・マルコ15:10〜11/

3 彼らは、イエス様の宮での言動によって、自分たちの権威が損なわれたことを非常に憤慨していました。天地を造られた神様の権威を認めていない人は、世の権威を頼りに生きます。自分より人気のある人、力のある人に対して嫉妬します。大祭司は身分を頼りにし、律法学者は知識を誇り、長老たちは血統を頼りにしました。あなたは、何の権威を頼りにし、誇りとしていますか。
・ガラテヤ6:14,ピリピ3:3/


4 イエス様は、彼らが本当に知りたくて質問しているのではないことを分かっておられました。そこで、逆に彼らに質問をしました。バプテスマのヨハネを認めることは、何を認めることになるのですか。
・29〜30節/
・マタイ3:13〜14,ルカ3:16

5 ヨハネが示していたのは、イエス様が来るべき救い主であるということでした。ですから、ヨハネの権威を認めるならば、イエス様を信じざるを得なくなります。エルサレムの権威者たちは、イエス様の質問に対してどのような対応をしましたか。
・31〜33a/


6 彼らは、自分の肉のプライド、権威を守るために、「分かりません」と答えました。本当に知らないのではなく、答えるのを拒みました。こうして、彼らは、神様の御前に立ち返る回復の道を自ら閉ざしてしまいました。イエス様の質問は、回復への希望の呼びかけです。ペテロに対する質問は、どんなことの回復のためですか。
・ヨハネ21:17/
・マタイ26:74〜75 /

7 私たちは、神様に質問を多くするでしょう。本当に分からなくて知りたくて尋ねる質問ばかりでなく、自分の思いを認めてほしい質問、文句を言う質問、御言葉の勧めを拒否したい質問などがあるでしょう。御言葉や祈りなどを通して、私たちは神様から質問を受けていますが、その質問に対して応答しておられますか。分かりませんと言っている姿はありませんか。



8 私たちは、人や社会のことでは、躊躇せず答えられるのに、「あなたはどうですか」と質問されると、どうでしょう。知っているのに、「分かりません」と答えた彼らに対して、イエス様は、「わたしも話すまい」と言われました。私たちが神様からの質問に答えないのであれば、神様も私たちの質問に答えてくださらないのかもしれません。私たちが投げかける質問に神様は答えることができないのでしょうか。
・33節/


9 色々祈っているのに聞いてくださらないという思いがあるでしょう。私たちが神様の質問に答えるなら、それが答えになることもあります。自分が何かを求めて、願っている時、「それが本当に必要なのか」「どうしてそれを願うのか」という神様からの質問に答えていくなら、そこに神様からの応答があります。御言葉の質問に答えて行く時、これがあの質問の答えなのかと気付かされることなどありませんでしたか。


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様が私たちの権威者であり、私たちの人生を治められる方です。神様が私たちへの質問者です。私たちが、人生の様々な問題を通して与えられる神様からの質問に対して、正直に真実に応答して行くならば、解けなかった人生の問題が少しずつ解けて行きます。主の権威の下で生きて、この祝福を享受できますように祈ります。今日の学びで与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。コロサイ2:9〜10。

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