小グループで聖書を学ぶ

54 生きている者の神(マルコ12:18〜27)

「心の門を開いて」

 人は誤解し間違うものです。信仰について間違ったまま信じている人々、聖書を勝手に誤解している人々もいます。聖書について、信仰について思い違いをしていた人々が、イエス様に質問しに来ました。イエス様が質問に答えることで、間違いを教えてくださいます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 先に税金問題をもってパリサイ人とヘロデ党の人が質問に来ましたが、今度は、サドカイ人という人々が、神学的問題をイエス様に質問しに来ました。ユダヤの宗教の一派ですが、どんな特徴がありますか。
・18節/
・使徒23:8/

2 サドカイ人は、モーセ五書だけを尊重し、御使いも、復活も、霊も信じていませんでした。合理主義者で、祭司階級を独占し、政治と権力に執着していた人々です。復活を否定していた彼らは、どんな質問をして来ましたか。あなたは、復活の教えについてどんな思いをもっていましたか。
・19〜23節/
・申命記25:5〜6,/

3 確かに、サドカイ人の論理の通りであれば、混乱が起きるでしょう。たとえば、夫と妻が離婚と再婚を繰り返した場合、復活後どのような家族構成になるのかということになります。家族関係で酷い加害者と恨んでいた被害者は、復活後どんな関係になるのかということになります。若くして死んだ父と年老いて死んだ息子は、復活後、どのようになるのかということになります。それに対してイエス様は、何と答えられましたか。
・24節/


4 創世記のはじめから、神様がすべてのものを創造された事実から出発しており、出エジプトでは様々な奇跡を経験しました。それなのに、サドカイ人は、復活させてくださる神の力を信じなかったのです。サドカイ人は、律法については博識な人々でしたが、それよりも自分たちの合理的な考えを信頼していました。自分の合理的な考えに合わなければ、御言葉の教えを退け、従うことがありません。現代にも、このような姿勢を持つ人々がいます。あなたはどう思いますか。

5 サドカイ人の質問は、復活後もこの世での婚姻関係が続くと誤解したことから来るものでした。それに対するイエス様の答えは、どうですか。聖書は、イエス様を信じた者はどうなると教えていますか。
・25節/
・Uコリント5:17, 黙示録21:4/

6 モーセ五書(創世記〜申命記)だけ尊重していたサドカイ人は、モーセ五書に復活は教えていないと考えていました。それで、イエス様は、出エジプト記から引用して答えられました。これは、どういう意味だと思いますか。なぜ、神様はモーセに語っておられるのに、先祖たちの名前を取り上げておられるのですか。
・26〜27節/
・出エジプト記3:6/

7 先祖のアブラハム、イサク、ヤコブの神であると宣言されておられるのは、先祖たちが天国で生きて、神との交わりがあるからです。すでに信仰にあって召された信仰の先輩たちは、今も主の前に生きているのです。私たちも、すでに召された信仰の先輩たちと共に主の前に生きていることになります。なんという恵み、祝福でしょう。聞いていた者は何と反応しましたか。あなたは、これを知って、どんな思いになりますか。
・ルカ20:39〜40/


8 引用された出エジプト記の箇所は、神様が、モーセに対してイスラエルを救い出す役目を与えているところです。先祖たちの名を持ち出しているのは、神の民を救う約束をアブラハム、イサク、ヤコブとされたからでもあります。イエス様の十字架の犠牲を自分のためだと信じた者には、神様はどうしてくださると約束しておられますか。
・出エジプト記3:4〜8/
・ヘブル11:6/

9 イエス様を信じて救われたということは、死や滅びで終わる人生ではなくて、永遠の救いへの回復の契約、つまり復活と希望の契約に与っています。きょう、あなたは復活について学んで、どんな生活をして、どんな証しをしたいと思いますか。
・Tコリント15:19〜22/


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架の御業によって契約を成し遂げられた神は、今も生きて働いておられます。生きている者の神を信じる時、神の力を体験することができます。神様は、私たち一人一人の生活の中で働かれる人格的な神様です。神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、信仰の先輩たちの神、私たちの神です。今日の学びで与えられた気付きや悔い改めを分かち合い、互いのために祈りましょう。

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