小グループで聖書を学ぶ

56 御言葉に生きよう(マルコ12:35〜40)

「心の門を開いて」

 「論語読みの論語知らず」という故事ことわざがあります。人は、本当に重要なことを知らないで生きていることが多いです。私たちは、どうでしょうか。今日の箇所を学んで、私たちの信仰の歩みを点検してみましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 前の話で、イエス様が最も大切な聖書の命令は何ですかという律法学者の質問に答えて、「すべてを尽くして神を愛することと自分を愛するように隣人を愛することです」と教えてくださいました。しかし、尋ねた律法学者は、その通りですと同意していながら、イエス様を信じて神の国に入るまでには至りませんでした。なぜでしょうか。イエス様をどのようなお方であると考えていたのですか。
・34〜35節/


2 彼らは、救い主キリストを待ち望んではいたのですが、政治的なダビデの子として来ると考えていました。キリストをダビデの支配を復興する英雄として待ち望んでいました。そこで、イエス様は、詩篇110:1を引用して、ダビデがキリストを主と呼んでいるので、キリストはダビデの子孫としてだけなく、神の子として来られると教えてくださいました。イエス様は、どうして神性と人性を兼ね備えたお方として世に来られるのですか。
・36〜37節/
・ローマ1:2〜4,Tペテロ3:18/

3 聖書は、イエス様の十字架の救いに集約されています。しかし、聖書を自分たちの都合のよいように解釈して、重要な真理の言葉を無視してしまいました。私たちはどうでしょうか。恵みや祝福は求めても、罪や悔い改めのことは聞きたくないのでしょうか。自分の求めに合う部分は喜んで聞くが、そうでない所は、聖書はそう言うけれどもと言って拒むのでしょうか。
・マルコ4:12/


4 御言葉をそのまま理解し、救い主を受け入れることに失敗した律法学者たちは、実生活においても、失敗しました。彼らの特徴は、どのようですか。読んだ感想はどうですか。
・38〜40節/


5 広場や市場で挨拶をされ、会堂の上席や宴会の上座に座り、長い衣を着て長い祈りをすることを好みました。目立つことで、人々から敬われ、社会的地位の高い者として扱われることを望んだからです。私たちにも、そのようなことがありませんか。イエス様は、どうするように教えられましたか。
・マルコ10:43〜45/


6 どうして、人は偉ぶりたいのでしょうか。目立ちたいのでしょうか。それは、人から認められたいからです。人に認められる、評価される、これは大きな心の偶像の1つです。それを拠り所に生きようとするからです。私たちの中に、そんな偶像がないでしょうか。神様は、あなたをどう見て、評価してくださっておられますか。
・イザヤ43:4/
・ヨハネ3:16/

7 彼らの姿は、「見えを飾るため」のものでした。見栄を張る、うわべを飾る、外見を目立たせることに心注いだのは、彼らが人の前に生きて、人の視線を気にしていたからです。どうしなければなりませんか。何を忘れているのですか。
・40節/
・詩篇94:9/

8 こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けると言われていますが、それは、御言葉を知っていても、御言葉に生きていないからです。見栄を飾るという彼等の姿は、高慢や自己中心という罪によるものです。認められないと妬んだり、憎んだりします。これもまた、罪です。ですから、自分の努力でこういう思いを払拭しようとするのは難しいのです。どうすれば、いいのですか。
・Tテモテ6:4〜5/
・Tヨハネ1:9/

9 聖書を学び、御言葉を聞くことは大事です。しかし、知識だけなら、うわべで終わります。その知識を生かすこと、実生活に適用することが大事です。御言葉を適用して生きて行くことは、とても重要なことです。御言葉を生活に適用すると、神の御心が生活の現場でなされるようになります。あなたは、どのように御言葉の適用を心がけますか。分かち合ってみましょう。
・ヘブル10:24/

「命の実を刈り取ろう」

 黙想してみましょう。解決しない問題がありませんか。悩みや痛みが続いていませんか。今信仰に生きているだろうか。御言葉を生活に適用しているだろうか。イエス様の十字架を握って生きているだろうか。学びを通して、気付かされたことや導かれたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。

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