小グループで聖書を学ぶ

59 目を覚ましていなさい(マルコ13:24〜37)

「心の門を開いて」

 近年様々な自然災害や異常気象、政治的混乱や社会不安、紛争などが増加しています。世の中どうなってしまうのだろうと多くの人々が思っています。私たちは、このような時代をどう受け止め、どのように生きればよいのでしょうか。終末とイエス様の再臨の預言から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、イエス様が再び来られる時の前兆が記されています。どんな話の続きですか。この箇所は旧約聖書の引用です。それぞれどんなことが知らされていましたか。
・24〜25,2〜4節/
・イザヤ13:1,10,34:4〜5/

2 この箇所は、イエス様が神殿の破壊とエルサレムの滅亡を預言されたことの続きです。バビロンとエドムの権威が崩壊し、新しい世界の秩序が形成されるという旧約聖書を引用して、エルサレムの崩壊とともにイエス様の王権による新しい秩序を預言されたものです。イエス様がすでに世に来られた時の姿と再び来られる姿は、どのように違いますか。
・ルカ2:11〜12/
・26節/

3 神様は、これまでは神の民とされたユダヤ人を中心に救いの業を進められて来ましたが、聖書の預言と警告を無視したユダヤ人を通した救いの歴史は新しい局面に入り、イエス様の十字架と復活による新しい統治が開始されます。どのようにしてくださると言われていますか。
・27節/


4 やがて終末の裁き主として来られるとなれば、その時はいつかということが気になります。いちじくの例えから学びなさいと教えられています。どういうことですか。
・28〜29節/
・ヤコブ5:7〜8/

5 すでに来られた救い主イエス様は、私たちの罪をその身に負って十字架にかかって死なれるために世に来られました。やがてイエス様は私たちの救いを完成するために再び来られます。季節の移り変わりのように明らかに主の再臨があると言いながら、イエス様は、どんなことを言われましたか。
・32〜33節/


6 終末の信仰とは、地球が終わるとか天変地異が起こって世が終わるというのではなく、闇が支配する世、肉と欲が支配する社会、罪に蝕まれた悲惨な人生が終わり、光があふれ、正義と公平がなされる社会を志向する信仰です。今すでに終末に向かって進行中なのです。主の再臨は、いつであるかは、だれも知らないということですが、どうすればいいのでしょうか。イエス様の例えの中で繰り返し強調されていることは何ですか。
・34〜36節/


7 目を覚ましているという原語には、注意を払い、慎重に積極的に行動する、警戒態勢を維持するという意味があります。終末や主の再臨に対して目を覚ましていない姿を引用箇所から学びましょう。これを読んで、あなた自身についてどう思いますか。
・マタイ24:37〜39/
・Tテサロニケ5:2〜3/

8 いつ地上の生涯が終わるか分からないのに、それに備えなくて、いいのでしょうか。終末に備えていない、主の再臨に対して準備をしない生き方が問題です。ですから、例え話で目をさましていなさいと繰り返されているのは、主人がいつ帰ってもいいように準備をしていなさい、備えていなさいということです。では、どんな準備が必要だと言っていますか。
・34節/
・Tコリント4:1~2/

9 目を覚ましていなさいということは、主から委ねられた仕事を忠実に果たすことです。信仰生活を忠実に生きることです。神の民として、イエス様を証ししながら生きることです。世を悲観的に見ないようにしましょう。主から委ねられているのですから、自分の責任と働きを過小評価することはできません。私たちは、神様の奥義の管理者なのです。管理者には忠実であることが要求されます。自分自身も主の管理者だと学んで、どんなことを思いましたか。何か心に期するものがありますか。


「命の実を刈り取ろう」

 初代教会の霊的な信仰と聖霊の働きを学ぶと、それは初代教会だけの特別な姿で、自分たちとは違うと考える人が多いようです。初代教会の人々は、主の再臨を間近に考えて、備えて生きていたので、敬虔な生き方となり、聖霊がダイナミックに働く教会となったのです。私たちも、すぐにでもイエス様に会う備えをし、忠実に主のしもべとして生きたいと願います。今日の学びで受けた導きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Uペテロ3:10〜11。

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