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62 主の血による新しい契約(マルコ14:22〜26)

「心の門を開いて」

 レオナルド・ダ・ビンチによる「最後の晩餐」という有名な絵があります。この絵自体について、様々な評論がなされ、諸説紛々ですが、それよりも、重要なのは最後の晩餐で何が行われたかということです。何が行われ、その意味は何なのか学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 聖餐式の意味を知るには、普通の食事の中でされたのではなく、過越の食事の中でされたということに目を留めなければなりません。過越の食事は、どういう出来事に基づいていますか。イエス様との関係は何ですか。何を預言したものですか。
・出12:7〜8,22〜24/
・Tペテロ1:18〜19, イザヤ53:5/

2 過越の食卓のパンとぶどうの汁の入った杯を取って、ご自分の体と血を与えると言われました。ご自分の命を与えるということです。イエス様が私たちのために犠牲のいけにえとなられたのです。では、それによって、自分の罪の身代わりに犠牲となられたと信じる者に何が与えられるのですか。どんなことを感じますか。
・22〜24節/
・エペソ1:7,Tヨハネ4:10/

3 イエス様は、聖餐式を通して、弟子たちに新しい契約を宣言します。「これはわたしの契約の血です」と言われました。契約の血とは何のことでしょう。契約とは、何でしょう。旧約聖書にある古い契約を参照し、その契約がどうなったかを確かめましょう。
・出24:5〜8/
・U列王18:12,エレミヤ11:10/

4 最初の契約は、民の従順を前提としました。民が神の御言葉を守り行うという行為に基づく契約です。しかし、民は、一方的に契約を破棄して、偶像に仕え、悪を行い、神様から離れて行きました。それで、新しい契約を立ててくださいました。新しい契約の特徴は何ですか。古い契約とは何が違いますか。
・エレミヤ31:31〜34/
・ヘブル9:14〜15/

5 なぜ、この契約は、血の契約と言い、血が流されることを要求するのでしょうか。旧約時代は、動物の血が繰り返し注がれますが、完全な罪の赦しはありませんでした。イエス様の犠牲は、どうですか。
・レビ17:11, ヘブル9:22/
・ヘブル9:12〜14/

6 血が流されることを要求するのは、罪の結果が滅びだからです。罪の裁きは、命を要求されます。それほどの罪とは、どういうものなのでしょう。罪ついて、どう認識しておられますか。
・ガラテヤ5:19〜21/
・エペソ2:1〜3/

7 過越の祭りによって出エジプトの救いを思い出し、記念として守って来ましたが、イエス様の十字架による救いをあらわす聖餐式をどうするように言われましたか。,
・Tコリント11:25〜26/
・ルカ22:19〜20/

8 血の契約を忘れないように、救われた恵みを記憶していなさい、罪が赦され新しい命に生きていることを覚えているように、聖餐式を行いなさいと言い残されました。荒野をさまよった出エジプト第一世代は、なぜ約束の地に入れなかったのですか。どのようなことを繰り返し命じられていましたか。
・民数記14:31〜32/
・申命記15:15,24:18/

9 救われた恵み、イエス様の犠牲を忘れてしまうと救いの喜びを失い、信仰が萎えます。聖餐式は、イエス様が私のために肉を裂かれ血を流された、十字架の恵みを覚える儀式です。感激がなければなりません。心から感謝があふれてくるものです。聖餐式は、この福音の恵みを経験したら、どうするようになると教えていますか。
・Tコリント11:26/
・使徒2:46〜46/

「命の実を刈り取ろう」

 聖餐式において、この福音の恵みを経験し、イエス様の救いを伝えることを決断する時です。その後イエス様は十字架にかけられるので、最初で最後の聖餐となりました。25節。次は、神の国で新しく飲む日となります。ですから、弟子たちは希望をもって賛美しました。26節。弟子たちが一緒に受けたように、私たちも、共に感激と喜びと希望をもって聖餐に参加しましょう。受けた導きと気付きを分かち合い、祈りましょう。Tコリント11:25〜26。

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