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63 ゲツセマネの祈り(マルコ14:27〜42)

「心の門を開いて」

 人は、自分の考え通りに生きようとします。しかし、現実には思い通りどころか、患難や問題が嵐のように訪れます。仕事の困難や圧迫、家族の問題、病気や生活の混乱等々が起こり、心配や不安にさいなまれ、絶望や落胆に沈み、鬱々とした心になります。私たちは、そのような時どうすればいいのでしょうか、イエス様のゲツセマネでの祈りから学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 弟子たちは、イエス様のために起きて、祈るようにと頼まれましたが、どうしましたか。弟子たちが、イエス様を見捨てて、逃げてしまうだろうと言われた時、どう反応していますか。
・37〜38節/
・27,29,31節/

2 自分の肉の力、自分の決意を信じていた彼らは、祈る必要を感じませんでした。自分の意志は強いと思っても、霊的には弱いのです。サタンに誘惑されて、祈らなくなる危険があります。イエス様は打たれて、弟子たちは散り散りばらばらになると言われ、いつもは毅然としておられるイエス様が、深く恐れもだえて、悲しみのあまり死ぬほどの状態でした。だから、一緒にいて祈ってほしいと言われたのです。弟子たちは、どうなってしまいましたか。
・ルカ22:45/


3 弟子たちは、大言壮語していましたが、実は、内心は不安と恐れでいっぱいでした。彼らは、悲しみのあまり祈れなかったのですが、祈るべき聖徒たちが、祈らないとどうなりますか。人生に問題や事件が起こった時、人々は、どのような反応をするのでしょうか。どう思いますか。
・ルカ18:1/
・伝道2:23/

4 イエス様の祈りの様子は、どんな姿ですか。その祈る姿に衝撃を受けます。今までこんな姿を見せたことがありません。この祈りの姿はなぜなのですか。
・32〜35節/
・ピリピ2:7/

5 十字架に臨もうとしておられるイエス様は、私たちの身代わりとして、私たちと同じ弱い人となられました。私たちと同じ弱い存在である人として祈っておられます。人は、高慢で、自分の弱さや恐れを隠そうとします。ますます辛くなります。一人、沈み込みます。しかし、私たちの主は、弱さや恐れを今さらけ出しています。一緒にいて、祈ってくれと弟子たちに頼んでいます。このイエス様の祈りの姿を知って、何を感じますか。苦難の時、どうしようと思いますか。
・ヘブル5:7/


6 仕事や家庭の問題で試みを受けます。重荷を負わされます。自分の力ではどうにもならず、恐れや不安に沈みます。どれほど必死に、熱心に祈るべきでしょうか。オリーブ山にあるゲツセマネとは、ヘブル語で油を搾るという意味です。ゲツセマネで祈られたイエス様の祈りは、どんな祈りですか。一度だけですか。
・39〜41節/
・ルカ22:44/

7 イエス様は、苦しみや恐れに搾り出されて、叫び声と涙をもって祈り、願いました。そして、イエス様は、何と祈られるようになりましたか。どんな印象を受けましたか。
・36節/
・使徒21:14/

8 「あなたのみこころのままをなさってください」と告白するしかありません。実にこの言葉は、イエス様が祈りに祈って搾り出された告白でした。この祈りの前提となることは、何ですか。「おことばどおりなりますように」という箇所も引用してみましょう。
・36節前半/
・ルカ1:37~38/

9 イエス様は、「父よ。あなたにおできにならないことはありません」と父なる神への信頼をあらわしています。マリヤの告白も、「神に不可能なことはありません」と言う御使いの言葉を聞いて、神様に信頼し、自分を委ねています。私たちも、神様を信頼して、委ね、従うことができます。祈りに祈ったイエス様は、何を決断され、どうされましたか。
・41〜42節/

「命の実を刈り取ろう」

 祈りに祈って決断されたイエス様は、「もう十分です。時が来ました」と言って立ち上がり、十字架へ進んで行かれます。信仰は、大言壮語することではありません。自分の弱さを知り、祈りに祈って力と導きを得ることです。後の弟子たちも、自分の弱さを認め、主を信頼することで大胆に証しができ、患難の中でも賛美し、祈ることができました。私たちも、問題の中で祈りに祈って、主を信頼して、委ねて、立ち上がって、問題に取り組んで行きましょう。受けた気付きや導きを分かち合い、互いのために祈りましょう。

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