小グループで聖書を学ぶ
67 おことばを思い出し、泣いた(マルコ14:67〜72)

「心の門を開いて」

 人には弱さがあり、失敗もします。人には、その弱さを隠して強がる姿があります。また、失敗や弱さに打ちひしがれる姿もあります。しかし、イエス様は、福音によって弱さが変えられ、失敗したが用いられる弟子の姿を教えてくださいます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、今日の箇所の予告編から見ましょう。イエス様は、弟子たちがどうすると言っていますか。「つまずく」とは、どういうことですか。それに対して、ペテロは何と言っていますか。ペテロの態度は、どんな特徴をあらわしていますか。ペテロは、自分についてどう思っているのですか。
・マルコ14:27,29〜31/
・マルコ4:17/

2 ペテロは、気分を悪くして、他の弟子が逃げても私だけは見捨てたりしないと主張しています。自分だけの熱心や決意を言うだけでいいのに、他の弟子たちと比較するところに、ペテロの弱さがあらわれています。比較意識は、自分の弱さを隠すための表現です。ペテロは、自分を過信して、人としての限界と弱さを理解していませんでした。ペテロのような自信過剰な人には、何が必要ですか。
・Tコリント10:12/
・ヤコブ4:12/

3 世の中では、自信や自己ピーアールは大切です。しかし、私たちが信じるのは主の愛と福音の力であって、肉の自分を信じるのではありません。信仰生活にうぬぼれや誇りは必要ありません。イエス様の十字架の犠牲が必要なほど、自分には罪や欲がある、自分は弱くて愚かであることを認識する必要があります。そのことをペテロが知るためにどんな予告をされましたか。
・マルコ14:30/


4 数時間後、ペテロの自信過剰がくずれる瞬間がやって来ます。ペテロは、大祭司の邸宅の庭にやって来て、中の様子を伺っていました。そこで、どのようなことが起こりましたか。予告の時の自信とプライドに満ちたペテロと比べて、どんな印象を受けますか。
・66〜71節/


5 大祭司の女中やしもべたちから詰問を受けペテロは、イエス様を知らない、関係ないと否定し、偽証しました。現代の聖徒たちも、学校や職場、家庭において、周りの人々から、質問を受けます。ある時には、クリスチャンであることが知られないようにします。クリスチャンであることを隠したまま過ごします。私たちも、現代版ペテロになるのです。思い当たることが何かありますか。



6 イエス様を知らないと3度否定して鶏が鳴いた時、ペテロは、イエス様の予告をフラッシュバックのように思い出しました。そのとき、ペテロは、どうしましたか。その時ペテロの中で何か起きたのでしょうか。想像してみてください。
・72節/


7 いくら教えても気付かず、反発するペテロに対して繰り返し教えられたからこそ、たとえその時には気付かなくても、自我が崩れた時御言葉が思い出されたのです。ですから、御言葉は繰り返し学ぶ必要があります。受け止められなくても御言葉を繰り返し教えることが大切です。自分を悔い改めさせ、挫折から立ち上がらせてくれた御言葉があれば、分かち合いましょう。



8 自分の能力の限界や性格の問題、罪の性質などで認めざるをえないことに直面した時、自分が崩れます。正しい信仰が形成されるには、ペテロのように自分がくずれるような経験も必要です。失敗は失敗に終わりません。ここからペテロは変えられ、用いられる人になります。そのために、後にどんなことが起こりますか。イエス様とペテロのやり取りを今日の箇所と比べてみましょう。
・ヨハネ21:15〜17/


9 イエス様は、ペテロに「わたしの羊を飼いなさい」命じられました。こうして、イエス様は、失敗したペテロを再び立ち上がらせてくださいました。ペテロのイエス様を3度否むという悲劇的な事件は、失敗と挫折で終わりませんでした。変えられたペテロは、後に初代教会の重鎮として用いられ、牢獄にも入り、最後には殉教しました。自分を信仰的に変えて、成長させた事件や問題、失敗や挫折は、どんなことでしたか。


「命の実を刈り取ろう」

 私たちも、自分の自信が崩れるような出来事に出会うでしょう。そこから、私たちも弟子たちのように変えられ、回復されます。学びを通して示され、導かれたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。

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