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71 十字架が導く信仰告白(マルコ15:39〜47)

「心の門を開いて」

 イエス様が悲惨で残酷な十字架で死なれました。これでイエス様の働きは終わりだと思われた瞬間でした。しかし、十字架は、その現場にいた人々の心を変え、彼らの信仰告白が始まりました。これで終わりだと思った時、新たな展開の始まりとなるのです。十字架の現場にいた人々の変化を通して学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様が受けた逮捕から尋問、拷問、十字架刑までを至近距離で目撃した人々がいます。ローマ軍の兵士たちです。その中に、イエス様の十字架刑を担当した百人隊長がいました。百人隊長とは、ローマ軍の中枢を担っていた下士官でした。戦闘の陣頭指揮を取り、戦場での戦死率も高いものでした。十字架刑を見ていた百人隊長は、何と言いましたか。そのことは、何を意味していたのですか。
・39節/
・Tテモテ6:12/

2 兵士たちは、イエス様をあざけり、ののしり、拷問を加えた人々でした。彼らにとっての神は、偶像であり、ローマ皇帝でした。そんな百人隊長が、なぜ、変わったのでしょうか。一体どのようにしてこのような告白をするに至ったのでしょうか。
・ルカ23:34/
・ルカ23:43/

3 これまで多くの囚人の死を見て来て、いつも死の危険の中にいた百人隊長は、十字架刑を見ていて、イエス様が自分のために十字架にかかり、自分の命を贖ってくだった救い主、神の子なのだと確信しました。福音、ユーアンゲリオンというギリシャ語は、元々「戦勝の良い知らせ」を意味した言葉でした。イエス様の十字架は、まさに人生の勝利を知らせる福音、グットニュースとなりました。あなたは、福音を聞いて、どう答えますか。
・Tペテロ3:18/
・マルコ10:45/

4 十字架の場面には、遠くから見守っていた女性たちもいました。彼らの共通する特徴は何ですか。その中の一人マグダラのマリヤは、どんな人でしたか。イエス様にどうしてもらった人でしたか。
・40〜41節/
・ルカ8:2/

5 その十字架の様子を見ていて、ますますイエス様に対する確信、救われた恵みを深く感じていたことでしょう。強められた女性たちは、イエス様のためにどのように仕えるようになりましたか。
・47節/
・ヨハネ20:1,18/

6 当時は、夜から次の日になります。安息日になれば、社会の決まりで埋葬ができなくなります。そこで、アリマタヤのヨセフという人が、総督ピラトのところに行き、埋葬のためにイエス様のからだの下げ渡しを願いました。「思い切って」願い出たのは、なぜですか。彼がどんな人だったからですか。
・42〜43節/
・ヨハネ19:38, ルカ23:51/

7 ユダヤ人社会で権力と地位を持っていたヨセフは、自分がイエス様の弟子であると知れたら、失うものが多いと考え、隠していました。ヨセフのように、職場や学校や地域において、イエス様を信じていることをあらわさずに生きていることがあります。あなたは、どうですか。どんな場合に躊躇しましたか。



8 ヨセフは、十字架の場面の1つ1つを見ながら、イエス様のお言葉を聞きながら、衝撃を受け、感動し、もう隠すことはせず、「思い切って」ピラトに申し出ました。不利益や犠牲を覚悟し、信仰を公にして生きる決断しました。このことが、彼の人生を変えました。あなたにとって、信じる決心や信仰を公にさせたものは何ですか。どうして思い切って決心や決断をしたのですか。



9 信仰をあらわすことは、社会にあって信仰で生きることができるだけでなく、他の人の救いや信仰に感動や影響を与えます。ヨセフが信仰を公にしたことは、どんな人に影響を与えましたか。その人の状態は、どう変わりましたか。
・ヨハネ19:39/
・ヨハネ3:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、自分の信仰の姿勢が他の人に影響していることを忘れてはなりません。私たちは、今どんな状態にいるのでしょうか。心では信じているけれども、告白できないままでしょうか。生活の現場で、クリスチャンであることを言い表すことに躊躇しているのでしょうか。信仰と生活が一致しないことがあるでしょうか。百人隊長やヨセフのように、私たちも「思い切って」決断し、新しく信仰で生きられるようになります。今日の学びで導かれた決心や悔い改めを分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ10:9〜10。

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