小グループで聖書を学ぶ
72 あの方はよみがえられました(マルコ16:1〜8)

「心の門を開いて」

 ある哲学者は、「絶望は死に至る病である」と言いました。人は何かによって絶望するのですが、きっかけとなった出来事よりも、絶望そのものが人を死に至る病にしてしまうのです。人を死に至る病から救うのが、復活の信仰です。イースターの朝、イエス様の復活に接した人々の姿を通して学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 日曜日の朝、女性たちは、せめてイエス様のからだに香油を塗ってさしあげたいと、イエス様の墓へ急ぎました。この時、女性たちには、悩みがありました。どんな悩みですか。その悩みが解決された時、女性たちの様子はどうですか。
・1〜2節/
・3〜6,8節/

2 墓に着いてみると、重い石はころがされており、墓は開いていました。それなのに、女性たちは、気が動転して、恐れるばかりでした。なぜでしょうか。愛するイエス様を十字架で殺されてしまった女性たちの心情を思って考えてみてください。
・Tテサロニケ4:13/
・哀歌3:54/

3 空の墓を示しても、気が動転して、恐れるばかりだったのは、女性たちの心の絶望が、そうさせたのです。ですから、絶望は死に至る病であると言われるのです。あなたが絶望した時、心はどんな状態になりましたか。あなたの人生の道を塞いでいた重い石は何でしたか。そのような時、どうすべきだと聖書は教えていますか。
・詩篇94:19/
・Tペテロ5:7/

4 イエス様の復活は、すでに死は打ち破られたということの宣言です。罪に勝利したという知らせです。復活のイエス様こそが、死、病、苦悩、それらのゆえに生じる絶望から救い出してくださる救い主です。不思議なのは、御使いが女性たちに話した弟子たちへの伝言です。なぜ、こんな伝言をするのですか。前に言われたとおりとは何ですか。
・7節/
・マルコ14:28/

5 恐れと絶望に陥っていた弟子たちは、夢破れて、エルサレムから都落ちし、故郷のガリラヤに帰ることになります。ガリラヤは、イエス様が福音を語り、人々を癒し、祈られた所です。弟子たちと出会い、召し出され、信仰を育まれた所です。失望落胆し、絶望の中にあった弟子たちに、イエス様は何をしてくださいましたか。弟子たちは、どんな気持ちになったと思いますか。
・ヨハネ21:3〜6/
・ヨハネ21:17/

6 イエス様が一緒だから大丈夫。イエス様は私を赦してくださり、私を愛して、用いてくださるのだと分かり、絶望から希望へ変えられました。こうして、死んでいたような弟子たちが、生き返り、復活しました。復活の信仰は、イエス様を信じて天国へ行くことを確信させることだけでなく、地上において絶望に勝利し、希望をもって生きることです。あなたは、弟子たちの変化を学んで、どんなことを受けましたか。
・Uコリント5:17/


7 私たちを絶望で死に至る病にさせるものは何ですか。私たちも、復活のイエス様と会わなければなりません。仕事や問題で落胆する時、その時が復活のイエス様と会う時です。私たちが何かで絶望する時こそ、復活のイエス様と会わなければなりません。ガリラヤ湖で弟子たちに会った時、イエス様は何をされましたか。弟子たちは、どんな気持ちになったと思いますか。
・ヨハネ21:12〜13/
・マタイ11:28〜29/

8 ガリラヤは、失った愛を取り戻すところです。ペテロに問うたように、私たちにも「あなたは、わたしを愛しますか」と問うてくださいます。イースターは、私たちに愛を回復させてくださる時です。イエス様は、食事で優しく弟子たちを悔い改めへ導いてくださったように、私たちを悔い改めさせてくださり、再び弟子として歩みに導こうとされます。失望落胆した私たちに、復活の命を与えられたのだから信じて歩むようにさせてくれます。あなたにとってのガリラヤは、どんなところですか。



9 私たちは、仕事や生活から受ける失望や焦燥のため、人生の使命やビジョンを失ってしまいます。弟子たちは、ガリラヤでイエス様と再会した後、どのように生きる者となりましたか。
・19〜20節/

「命の実を刈り取ろう」

 イースターは、重い石が転がされるごとく、絶望と挫折から生き返り、赦しと命を受ける時であり、ビジョンを受け、新しい使命に生きて行こうとする時です。復活の信仰は、私たちの将来の復活だけでなく、私たちの現在の復活を導いてくださいます。復活の信仰を確立して、世に勝つ信仰生活となることを願います。適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Tヨハネ5:5。

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