小グループで聖書を学ぶ
11 たましいの医者であるイエス様(マルコ2:13〜17)

「心の門を開いて」

 自分の内面と向き合うことがあるでしょうか。そうすると、自分が抱えている問題ややりたいことの理由が見えて来ます。思ってもみなかった自分が見えて来たりします。そして、葛藤を覚えることになります。今日の箇所に登場する人も、そうだったようです。そこから私たちへのメッセージを学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イスラエルを支配していたローマ帝国は、税を取り立てるのに、内情を知っている現地の人々を取税人としました。取税人は、ローマに納める税の他に自分の収入とするための分も取り立てました。決まった額さえ納めれば、後は自分のものです。取税人の取立てに任されていました。税を取上げられる民の思いはどうなのでしょう。人々は取税人に対してどう思っていたか想像してみましょう。
・13〜14節/
・ルカ18:11/

2 当時取税人は、ローマの手先、イスラエルの反逆者とみなされ、民の取税人に対する憎悪は凄まじく、人々から嫌われ蔑まれました。多くの取税人は、嫌われれば嫌われるほど、威張って冷酷に徴収し、裕福な生活を追求しました。イエス様は、レビの内面に目をとめて、弟子として召し出されました。レビ自身も自分の内面と向き合って、葛藤していたようです。当時の取税人からして、どんな内面をもって葛藤していたと思われますか。
・ルカ18:13/


3 レビは裕福で権力があったけれども、人々から憎まれ、蔑まれて、心は傷だらけでした。こんな人生でいいのだろうか、と悩んでいました。人が自分の内面と向き合ってみるなら、自分の肉の思いに気付かされたり、葛藤を覚えたりするでしょう。自分の内面と向き合ってみましょう。あなたの心の中はどうですか。問題や葛藤はどうですか。



4 レビは、イエス様なら、私の心を癒して、人生の問題を解決してくださると思っていました。それで、イエス様に呼ばれた時、すぐに従うことができました。イエス様に救われて、心の葛藤を癒していただいたレビは、変わりました。内面の傷が癒された変化は、どのようなことにあらわれましたか。この出来事は、レビのどういう思いの結果ですか。
・15節/

5 自分がイエス様に出会って、葛藤と痛みから救われて、癒されたなら、周りの人々も救われて、癒されてほしいと願います。これが、証しの原点です。イエス様のような視点のない人々が登場します。ユダヤ人社会の指導者であったいわゆるパリサイ人です。彼らは、よく聖書を知っていました。社会の指導者なのですが、自分の内面を見ていない人々です。それは、かれらのどのような言動から分かりますか。
・16節//


6 御言葉を学んでいるなら、自分たちの罪も分かっているはずです。御言葉と肉の思いの間で葛藤するはずです。御言葉を読み、黙想するならば、内面が病気になっていることに気付きます。しかし、自分の内面を見ることなく、人々を批判して蔑んでいました。御言葉を学び、知識もあるのに、どうしてそのようになったのですか。私たちにも、そのような危険はないですか。
・マタイ23:13/


7 イエス様は、パリサイ人の批判に対して、何と言われましたか。この譬えの表現は、どういうことを意味しているのですか。
・17節/


8 イエス様の前では、すべて罪人という病人です。病人だと知っているなら、治療を受けることができます。イエス様は、たましいの医者です。私たちのたましいの状態をよくご存知で、的確に診断されます。どのように私たちを救い、たましいの傷を癒し、人生の問題を解決してくださいましたか。
・Tペテロ2:24/


9 私たちも、イエス様の救いとたましいの癒しを必要とする病人です。自分が癒しを必要とする病人だからと言って引け目を感じてはなりません。誰もパリサイ人のようになってはいけません。私たちが病院に行って、ああ病人がいると批判するでしょうか。私は病人だと遠慮しますか。たましいの医者イエス様を知って、あなたはどうしますか。


「命の実を刈り取ろう」

 レビは、イエス様に出会った後、名前がマタイに変わりました。あの使徒のマタイであり、マタイの福音書を書き残した人です。イエス様は、収税所に座っていたレビを見た時から、彼の内に偉大な伝道者マタイを見ておられたのです。過去ではなく、未来を見つめたこのイエス様の視点が、私たちには必要です。今日の学びを通して、気付かされたこと改めたいことなど適用を分かち合い、祈り合いましょう。 

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