小グループで聖書を学ぶ
15 手を伸ばしなさい(マルコ3:1〜6)

「心の門を開いて」

 「人間は感情の動物である」と言われます。感情が、人の行動の最大の動機となるからです。多くの場合、喜怒哀楽などの感情が人を動かしています。冷静そうに見えても、心の中は感情が渦巻いています。人が生きるために与えられた感情をどう生かすかが重要です。それによって人生と自己形成は大きく違って来ます。きょうの箇所から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 安息日に、イエス様が会堂に入られると、そこに片手のなえた人がいました。初代教会の言い伝えによれば、彼の仕事は、「石工」でした。石工の仕事は、重労働であり危険が伴うものでした。厳しい仕事のせいか事故の後遺症かで片手がなえてしまいました。この人の心を想像して、自分だったら、どんな感情になりますか。
・1節/
・詩篇18:6/

2 手が不自由になったことで、石工の仕事も失ってしまったでしょう。自分の境遇を嘆くだけでなく、貧しさに苦しむ家族を見るのも切なく、彼の心は不安と恐れ、悩みでいっぱいだった。彼の感情は、千々に乱れて、自暴自棄になりそうになった。そんな彼は、どこに来ていますか。心に重荷がある者、たましいの疲れた者、感情が乱れた者は、どうしなさいとイエス様は言われましたか。
・マタイ11:28/


3 片手のなえた人は、会堂でイエス様の話を聞きながら、たましいが癒され、心に平安が訪れたでしょう。いつもの礼拝にまして、感情が取り扱われたでしょう。会堂はどんな様子でしたか。どんな人がいましたか。何をしていましたか。
・2,6節/


4 パリサイ人は、片手のなえた人とイエス様を交互に眺めていましたが、イエス様のお話を聞いていたのでしょうか。一人の片手のなえた人をあわれんで、助けたいと思って注目していたのでしょうか。彼らの感情は、どのようであったと思われますか。
・3〜4節
・マタイ27:18,Tテモテ6:4/

5 イエス様に癒された人は、再び仕事をすることができ、家族に食べさせることができるようになるでしょう。しかし、小躍りするその人を見るパリサイ人の顔は歪んでいます。心は穏やかではありません。イエス様に対する妬みと怒りは、最高潮に達しました。他人の痛みを痛みとして感じず、他人の喜びを一緒に喜ぶことができない、心が歪んでいる人たちです。彼らのような心は何と言われていますか。
・5節/
・ローマ2:5/

6 デビッド・F・ウェルズ教授著「荒野の神」を読んで、感想を分かち合いましょう。「私たちは、自分が従うべき神よりも自分が利用できる神を頼ってきた。自分のニーズを満たしてくれる神様を求めてきた。神は、私たちの満足のための神である。私たちは、神を自分の勝手にできる神に変えた。私たちは、神の実在を愚弄して、自分の思いのままにしても、神が黙っておられると思った。そして、神の恵みが少なくなって、神が自分に繁栄と成功を注がないと、神をもはや信じられない自分を発見する。」



7 私たちのために十字架にかかられたイエス様の愛を感じて、信じたならば、頑なな心はどのようになりますか。
・エゼキエル11:19/
・Tヨハネ5:1/

8 本当に幸せな人は、自分の望む通りになることだけに幸せを感じたり、自分に良いことが起こるときにのみ喜ぶ人ではありません。他の人の幸せを一緒に感じることができる人、他の人の喜びを自分も喜ぶことができる人が本当に幸せな人です。イエス様は、パリサイ人の酷い態度を見て、どのような感情になられましたか。(嘆くの原語の意味は悲しむ)
・5節/


9 私たちを創造された神様は、私たちに感情を与えられました。しかし、そこに罪が入り込みます。愛する心が憎しみになり、希望が失望に、賞賛が妬みに、あわれみが裁きにというように、罪がその感情に影響を与えます。健全であれば、すべての感情を否定する必要もないし、すべての感情をそのまま認めることもしません。私たちは、自分の感情をどうすることが必要ですか。
・箴言16:32,詩篇77:6/
・使徒24:16/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は、彼らを批判したかったのではなく、彼らの頑なな酷い感情のために悲しまれたのです。私たちが人を妬んだり、憎んだり、怒りをぶつけたり、人の心を痛めたりするのを見て、イエス様は悲しまれます。イエス様は、私たちの頑なな心、麻痺した心の手を伸ばしなさいと言われます。適用を分かち合い、祈りましょう。使徒24:16。

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