小グループで聖書を学ぶ

18 誤解と中傷の中で(マルコ3:20〜30)

「心の門を開いて」

 イエス様は、多くの人々に御言葉を教えました。様々な人々を癒し、大勢の人々がイエス様のところに集まって来ました。そして、弟子たちを任命し、今やイエス様の働きは、順調に展開し、軌道に乗ったかのようです。しかし、イエス様が誤解され、中傷を浴びせられました。私たちも、誤解され、中傷を受けることがあるでしょう。イエス様の対処から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様は、集まって来た人々を癒し、御言葉を教えて、「食事する暇もなかった」というほど精力的に働いていました。人々がイエス様を慕い求めて来ていました。ところが、そこへ別の人々が来ました。誰ですか。なぜ、来たのですか。
・20〜21節/


2 身内の者たちは、「気が狂ったのだ」と言ううわさを聞いたので、放っては置けないと、やって来ました。良い噂を聞いて、人々がイエス様を慕って来ている中で、なぜ、彼らは否定的な噂ばかり聞いていたのでしょうか。彼らには、その元になる先入観や彼らなりの思いがあったと思われますが、どんな思いでしょう。
・マルコ6:3 /
・Tペテロ4:4 /

3 あなたは、周りの人々や親しい人から、おかしいと言われたことがありますか。家族や親族から否定的な評価を受けたことがありますか。良かれと思ってやっていることが、身近な人から悪く受け取られ、誤解されることがありますか。そのような時、どんな気持ちになりましたか。



4 イエス様は、律法学者たちから、ひどい誹謗中傷を受けました。どんな言いがかりを付けて来ましたか。それは、彼らのどのような心が、そうさせたのですか。
・22,30節/
・マタイ27:18/

5 社会的な地位と分別を持っていた律法学者やパリサイ人は、妬みにかられ、イエス様に対してこんな酷い中傷を浴びせました。あなたは、人がほめられるのを見て面白くない思いになったり、他の人が良くなる姿を見て素直に喜ぶことができないことはありませんか。どんな時妬みが生じましたか。
・伝道者4:4 /
・ヤコブ3:14,16/

6 社会の中で、人からクレームを付けられ、批判され、ありもしないことで中傷されるとしたら、私たちは恐れ、不安になるでしょう。学校や地域の中で、悪く言われることもあるでしょう。上司から指摘や注意を超えて、必要以上に攻撃されることもあるでしょう。良かれと思ってしていることで周りから咎められることもあるでしょう。どう受け止めたらいいでしょうか。イエス様と使徒パウロの対応を参照しましょう。
・マタイ11:19/
・使徒26:24〜25/

7 人はサタンに使われ、罪の思いによって、人を悪く言い、責めます。ですから、イエス様による救いが必要です。悔い改めて、イエス様を救い主と信じることで、罪赦され、サタンの囚われから解放されます。イエス様は、律法学者たちにどんなことを教えられましたか。(人を悔い改めに導くのは、聖霊の働きです。)
・28〜29節/


8 律法学者のように妬みからなのか、不満や怒りをぶつけたいのか、人々が私たちを非難し、悪く言います。親族のような身近な人が理解してくれず、誤解されたりすることもあります。そんな時、辛く悲しくなり、悩んだりします。27節の強い人とは、サタンのことです。この強い者を縛り上げるもっと強い者の力が必要です。イエス様は、信じる者をどのようにしてくださいましたか。私たちは、どのような思いになることができますか。
・27節/
・ローマ8:2,31〜34/

9 人から誤解されて悪く言われたり、謂れのないことで否定されたり、不当な扱いを受ける時、怒って反発し、文句を言い、争いたくなることがありますか。イエス様はどうされましたか。
・Tペテロ2:23〜24/


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は、仕返しをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。私たちもそうするのです。私たちのために十字架にかかられたイエス様は、人々からの批判や中傷、誤解や攻撃も私たちのために受けてくださいました。私たちのために心の痛みを味わわれました。イエス様の十字架を思う時、無理解や中傷で痛んだ私たちの心も癒され、平安が訪れます。今日の学びを通して受けた適用を分かち合い、祈りましょう。

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